第1章
第1章 春ウコンで治まった多くの症例
目 次
1.1 いろいろな癌での効果
1.1.1 癌への適用の先駆けとなったケース(筆者A(松井)の直腸癌?(1))
1.1.2 癌と診断された人の疾患経過
(1) 直腸癌(2)
(2) 大腸癌
(3) 肺癌(1)
(4) 肺癌(2)
(5) 肺癌(3)
(6) 肺癌(4)
(7) 肺癌(5)
(8) 肺癌(6)
(9) 筆者I(粕渕)の場合 前立腺癌(1)腎臓癌(1)
(10) 前立腺癌(2)
(11) 前立腺癌(3)
(12) 前立腺癌(4)
(13) 前立腺癌(5)
(14) 肝臓癌 (1)
(15) 肝臓癌(2)
(16) 肝臓癌 (3) と6疾患併発
(17) 肝臓癌(4)
(18) 胃癌・食道癌全摘後の転移
(19) 胃癌
(20) 消化管膜間質性腫瘍
(21) 膵臓癌
(22) 乳癌
(23) 子宮体癌
(24) 膀胱癌(1)
(25) 膀胱癌(2)
(26) 卵巣癌(1)
(27) 脳下垂体腫瘍
(28) 乳癌他4種の癌(1)
1.2 癌についてのまとめ
1.3 糖尿病にも卓効
(1) インスリン治療中のRDさん氏
(2) 食事と運動療法中の元部下SD氏
(3) 急激に悪化した糖尿病患者のK氏
(4) 大腸癌と糖尿病を併発したM氏
(5) 糖尿病薬長期間投与と食事と運動療法中のWD氏
1.4 糖尿病のまとめ
1.5 その他の有効だった症例
(1) 類天疱瘡(ルイテンポウソウ)
(2) C型肝炎
(3) MRSA
(4) 蓄膿症, 歯槽膿漏と慢性的喀痰
(5) うつ病
(6)シェーグレン症候群
(7)関節炎とヘパーデン結節
(8)帯状疱疹
(9)花粉症
(10)喘息
(11)緑内障とドライアイ
(12)水虫とひょう疽
(13) アレルギー性発疹
(14) アトピー性皮膚炎
(15) 骨粗鬆症(うつ症状,子宮筋腫)
(16) 全般的な改善
1.6.春ウコンの有効例のまとめ
1.7. 春ウコンの有効例拡大中に考えたこと
(1) どの癌も原因は同じ?
(2) 春ウコンの活性は何か? 春ウコンは成人病にも自己免疫疾患にも有効?
1) 制癌活性はどこからくるか?
2) ウイルスの特効薬になるのか?
3) 自己免疫疾患にも効くのか?
4) 細菌感染, 真菌にも効果がある?
(3) 春ウコンはオールマイティ?
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第1章 春ウコンで治まった多くの症例
最初に, これまで筆者らが直接関わってきたケースについて, 癌と糖尿病を中心として紹介する.
まず, 癌の例について紹介することにする. 癌の進行過程を定量的に追求することは難しく, 快方に向かうときでも一般的には, 「何cm程の癌が, ①大きくならない, ②縮小している(寛解), ③消失した」などと表現されている. また, 臓器を摘出してみないと進行度を確定できない癌, 摘出した臓器を染色してみないと癌の存在がわからない癌, などもある. 数値で表す癌マーカーの場合も, 前立腺癌に対するPSA値b)以外は, 原理上の限界から定性的,補助的に使われることが中心であり, 癌を定量的に追跡する手段には使えないようである. 医師は癌マーカー検査で疑問が出た場合に, 生研(バイオプシ)などの確定診断を行い次のステップに進むので, 医師の診断結果をもって①末期,ターミナルケア, ②寛解, ③完治,退院, とすることが確かな判断と考えた. 幸いなことに, 今回の事例の大部分は, 日本でトップクラスと言われる病院の医師による診断結果に基づいているので, 病状などの判断に間違いはないと考えている.
次に, 糖尿病を取り上げた. 春ウコンが風邪によく効くように思えたので, 始終風邪をひいている人に勧めたところ, 持病の糖尿病が良くなったという報告があった. そこで, 糖尿病で困っている人に健康のために勧めたところ, 糖尿病の改善が多くの人に見られた. 糖尿病は, 血糖値やヘモグロビンA1c値c) (図の中ではHA1c,Hb-a1cなどと略記した)などで定量的に調べることができるので, 数字で極力追うことにした.
更に, MRSA,C型肝炎,うつ病,歯槽膿漏,類天疱瘡などが良くなった例は, たまたま, 風邪をひき易い人が健康のためにと春ウコンを摂り始めた結果として起こった体の変化や, 癌,糖尿病患者が併発していた疾患が治癒した事実を, 例として記したものである. 春ウコンの効能効果を求めて使用例を拡大したわけではないが, 結果的に春ウコンの効用が幅広いことを見出すことなった.
なお, ここに取り上げた事例は, 春ウコンを摂取し始めて症状が改善した症例のなかで, 改善原因が春ウコン以外には考えられない例から選んだつもりである. また, 春ウコンによって症状が悪化したり, 副作用が出たりした事例は, 現在のところ報告されていない.
1.1 いろいろな癌での効果
1.1.1 癌への適用の先駆けとなったケース(筆者A(松井)の直腸癌? (1))
(1942年生, 男性, 体重60kg)
(1) 突然の出血
当初は, 時差ボケのような睡魔に頻繁に襲われ, 体力が低下したと考えていた. そして, 下血が急に始まった. 1989年(当時47歳)の秋のことである. 初めこの鮮血を見て, 痔にでもなったかと軽く考えていたが, 痛む頻度が増し, 痛みも強くなっていった. その年の暮れには出血量も多くなり, 脂汗が出るような激痛が1日2~3回起こるようになって, ただ事ではないと感じ始めた. 末期癌と思われる激痛と下血が頻繁となり, 症状が悪化した. 会社のゴルフ仲間の先輩が, 2年前に直腸癌で亡くなった時の状況を思い出しながら, 酷似している症状の進み方に, 段々と深刻になっていった.
癌に罹るのではないかという畏れが, 頭の隅に長年あった. 親族に癌で亡くなった人はなく, 心当たりは18年前(1971年9月)の肝不全であった. 他社から依頼があった医薬品原料(毒性が強いニトリル系化合物)製造用のテストプラントの運転事故中にこの蒸気をほんの一息吸い込んだため, 劇症肝炎のように肝機能検査値が上がり, 血中にバゾフィールと言われる異常細胞が現れるほどの肝不全となったことである. 内科医の父から手厚い処置を受けて一週間でかなり回復したものの, その後もそれまで定期検診で一度も注意を受けたことのなかった肝機能のデータがなかなか標準値に戻らなかった.
事故後18年経ってもこれらの値は正常範囲に入らなかったので, 事故との関連がいつも気になっていた. 化学系の研究者の仲間うちでは, アクリル繊維の研究者は蛋白結合性の強いアクリロニトリルを永年使用するので, 肝臓癌で亡くなることが多い, とよく言われていた. それより遥かに反応性の強いニトリル系化合物による肝不全の発症は, 将来の肝臓癌への進行を予感させるものだったからである.
それがついに現実になってしまったのかと思いながらも, 病院へ行くことを逡巡していた. 制癌剤開発に携わっていたときの経験から, 「病院で癌と診断されれば手術となることはまず間違いない. 自覚症状が出ている末期癌を手術したところで, すぐに転移して死に至る可能性が極めて高く, 首尾良く行って余命は2年か」と考えたからである.
ちょうど昭和天皇のご病状が新聞紙面に大きく取り上げられていた少し後のことである. 筆者の子どもたちはまだ成人に達しておらず, 街を歩いていて高齢の方を見かけると, あの年齢まで生きることができないかと羨ましく思い, また一方で, 見込みがなさそうな自分の状態を考えると, 暗澹たる気持ちになったことを今でも鮮明に憶えている.
1989年の初秋, 背中の下の方が重く, また, うっすらとした痛みを感じ始めて肝臓癌の予兆かと思っていた時, 出血が始まった. はじめは痔にでもなったのかと思った. しかし, 出血量が増えて痛みも強くなってきたので, 直腸癌の出血ではないか, と疑い始めた. そして, 肝臓癌からの転移癌の方が先に強く出てきたのではないか, とも考えた.
それ以前に業務で制癌剤(免疫療法剤)の開発に関与したときに, 癌を一通り勉強し, その後も癌関連の情報には注意していたが, 革新的な治療方法の開発はないように思えた. そのときの知識では, 「癌は静かな病気で, 自覚症状が出たときには末期癌である」と言われており, 「末期癌への対策は無きに等しい」とも言われていた. とは言え, 必死の思いだったので, [はじめに]で述べたように制癌剤開発の時に調べたり考えたりした資料を取り出して読み直してみた. 植物由来の開発品に期待し, 海外の著名な製薬企業に対して導入を打診したことなども思い出しながら, その当時着目した植物由来の制癌剤開発候補がその後どのように展開しているかを調べ直してみた.
しかし, 大きな期待ができる制癌剤にはなっておらず, また, 他にも卓効を示すものはなさそうであったので, どこの病院なら適切な治療が受けられるだろうか, と漠然と考えていた. その当時, 末期癌で一番確かな延命方法は広島大学の温熱療法d)ではないかと筆者は考えていたので, 出血,痛みがひどくなってからは, 毎日高温の風呂に入って腹部から腰の付近を長時間温めていた. そして, この方法で幾らかでも出血と痛みが抑えられることを密かに喜んでいた.
(2) 幸運にも春ウコンに出会う
1989年末には自覚症状もますます厳しい状況となった. 最早, 手術も難しく頼るべき制癌剤もなさそうで, 絶望的な気持ちでいろいろと調べていた時に, 筆者の制癌剤の開発経験を頼って, 元上司のM'氏が母親の癌について相談に来た. 「末期の肝臓癌でT大付属病院に入院中だが, 医者から『これ以上すべき治療はない. 高齢なのであと半年もつかどうか』と言われている. 生の春ウコンが良さそうだという沖縄の人もいる. どう思うか」という相談だった.
すぐに調べてみると, 生産量は少ないので一般的ではないが, ウコン(秋ウコン)とは特性がかなり違うことがわかった. 筆者自身も大出血中で, [座して死を待つ], [溺れる者は藁をも掴む], という心境だったので, 可能性を感じた春ウコン摂取を始めてみようと考えた.
とは言っても, 多少の可能性を感じる程度の状況だったので, M'氏へは, 「癌は治らないと思う. 沖縄の人が良くなったとすると, 癌との診断が誤診だった可能性は大きい. 末期癌なので効くかどうかわからないが, やってみますか」と聞くと, 「他に手段がないので, あなたが検討の価値ありと思うなら, 母に直ぐに飲ませたい」とのことであった. 商品は乾燥品だけだったが生の方が活性は強いと考え, 沖縄から生の春ウコンを直ぐに取り寄せることを約束した.
その頃は, 生の春ウコンが何処で入手できるかわからなかった. そこで, 勤務していた会社の沖縄事務所長IM氏に電話をして「M'氏と私が使いたいので, 生の春ウコンを販売している信頼できるメーカーを教えて欲しい」と, 依頼した. IM氏からは直ぐに調べた結果が届き, 「真面目に生産している会社はU社とN社. 一方は老舗で, もう一方は若手が頑張っている会社である. 粉末製品の日量限界は3gなので, しばらくと摂るして何キロかは必要となる. こちらで手配する」と言ってくれた. 用法用量を決めて, 自分の分を含めた3ヶ月間分の使用量6キロを, N社へ手配するように依頼した.
生の春ウコンは秋に収穫するので晩秋から春までの間にしか入手できないことを後々知ったが, 幸いなことに, ちょうど依頼した時期が入手できる冬だった. 年末にも拘らず, N社は直ぐに送ってくれたので, 半分をM'氏に届けた. M氏の末期癌に効いて欲しいと思いつつ, こちらの直腸癌らしき出血,激痛にも効果がでることを期待した. 春ウコン到着のその日から祈るような気持ちで摂り始めた. 商品説明には,1日3g以下と書いてあった. この量に対して, 末期癌なので2倍量の6g/日としよう, と考えて摂取量を設定した. 乾物換算20%とすると, 生の春ウコンの摂取量は1日30g程となる. これを3分割して, 下ろし金で擂って摂取するようにM'氏に伝え, こちらも始めた.
(3) 劇的な回復
春ウコンを摂り始めて3日目, 激痛を感じていた直腸付近が痛痒くなり, 3週間が過ぎた頃から下血量と痛みが大幅に減少し始めた. ほぼ3ヶ月で肛門付近の激痛が遠のき, 下血が殆ど止まった. 2つの苦痛が同時に終息したのは1990年3月中旬のことであった. 冷静さを取り戻してみると背中の痛みも消えていたので, 当初恐れていた肝臓癌も遠のいたのか, とも考えた. [薬の効果は, 摂り始めて3日⇒3週間⇒3ヶ月の疾患の変化で判断できる]イ)と, 一般的に言われているが, まさにその通りだった.
自分の方に余裕が出てきたので, 気になっていたM'氏の母親の状況を聞いてみた. するとM'氏は「医者から『今まで効かなかった数ヶ月前に使った制癌剤が効き始めた. 治癒したので退院できる』と言われて先週退院した」と言われた. [今まで効かなかった制癌剤が急に効果を出したとは考えられないし, 制癌剤の投与は数ヶ月前に終っている. 治癒は, 春ウコンの効果以外には考えられない]との点でM'氏と意見が一致した. 初めは春ウコンが苦いと言っていた母も, 今は, 『爽やかで飲みやすい』と言って飲んでいる」とのことだった.
こちらは確定診断をしていなかったが, 回復の経過が殆ど同じなので, こちらも癌の疑いが極めて強いと感じた. そのときM'氏へは「癌が良くなったのは大変嬉しいが, 癌が治るとは思えないので, 春ウコンは摂り続けた方が良いと思う」と話した. 大量に追加注文をして, 両者で摂り続けた. このとき, ウイルスに近いものは体から取り除けない感じたので, [癌は治らない]と摂取継続を勧めた. この視点に間違いはなかったようだ.
全く異なる部位の疾患が殆ど同じ経過をたどって軽快した. しかも, 一例はT大付属病院で, [末期の肝臓癌, 余命半年]と診断された患者である. 驚くようなことが起こったと感じつつ, その理由を考え始めた.
また, 後々この効果を調べてみると, [初めに設定した上限の倍量6g/日×3ヶ月]は最適値に近い量だった. 「一般的に言われている上限の3g/日で始めていれば, 2例の劇的な回復は起こらなかったかも知れない. 3倍量では効果がさがる」と考えると, 初期の設定値の幸運を強く感じている.
イ)効果のある薬であれば, 投薬を始めて3日目位に何らかの兆候が現れ, 3週間位すると効果がはっき
り自覚できる. 3月位で疾患が治まる. 3月で効果のない薬はやめる.
(4) 続く不可思議
痛みと出血が治まった直後にあった会社の春季健康診断では, 検査結果が全て標準値に入った. 十年以上も赤マークが付いていた肝機能のデータだけでなく, やや上がり傾向になっていた血圧と糖尿病の指標も正常域に入った. 不思議なことと思ったが, その時は血圧や糖尿の改善を春ウコンと結び付けるところまで考えが及ばなかった. 体調が極めて良くなると同時に, 睡魔に襲われることも少なくなり, 始終ひいていた風邪は殆ど罹らなくなった. また, 風邪のたびに罹っていた厄介な口内炎やヘルペスが殆ど出なくなり, 頻繁に出ていたじん麻疹も少なくなり, 煩わしさから解放された. 薬の世話にならなくてはと思っていた花粉症も軽くなり, 翌年にはほとんど消えてしまった.
これらの改善は, [直腸癌(?),糖尿,ヘルペスウイルス(口内炎),肝障害,花粉症,風邪,高血圧,じん麻疹,母斑など]が全て同時並行的に治まることがわかった最初の例であった. しかし, 後日, 知人からの報告があるまでは癌という最重要課題だけが念頭にあり, これらのことは気にもしなかった. 癌らしい症状が良くなったとはいえ, 時々起きる軽い出血や痛みを疾患のメルクマール(指標)と考えて, その後の体調管理に使った.
健康を取り戻し始めたある日, 時々出かける馴染みの店で主人と話しているところに夫人のRDさんが来て, 「風邪ばかりひいて困っている」という. そこで, 春ウコンを1ヶ月摂ることを勧め, 粉末製品を一瓶進呈した. 次回に訪ねた時に調子を尋ねると, 大変嬉しそうな顔で「風邪も良くなったが, 糖尿病も良くなってきた」と言われた. 「糖尿病は治らない病気なので, 何かの間違いではないか」と言って店を出たものの, 少し気に引かかるものを感じた.
そのようなやり取りをしたことも忘れて, 翌月, また店に行くとRDさんが待ち構えていて, 「知り合いに糖尿病患者が2人いる. 1人は近所のコンビニエンス・ストアの若手従業員, もう1人は仕事を頼んでいる税理士である. どうしたら良いか?」と聞かれた. こちらから「RDさんの血糖値が正常値に更に近づいている. 春ウコンは副作用が少ない食品なので, 2人にを勧めて, RDさんに起きたことが再現するかを見よう」と話した.
1ヶ月して再訪すると, RDさんは「この1ヶ月の間に, 2人とも春ウコンで糖尿病が少し良くなっている. 3人とも糖尿病のため朝起きるのがつらかったが, 今では血糖値が下がり朝起きるのが楽になった. 2ヶ月後の検査でヘモグロビンA1cがどこまで下がっているか楽しみ」と言う状態になっていた. [同病相憐れむ]の諺の通り, 糖尿病仲間は連絡が良いようだが, 3人の糖尿病が良くなったことで考えたことは次のようなことだった.
まず春ウコンで風邪と癌が良くなったが, 風邪の原因がウイルスなのは確かである. 癌の原因もウイルスと言う説がある. とすると, 春ウコンで良くなった糖尿病の原因もウイルスなのではないか? 膵臓のβ細胞の中で悪さをしているウイルスが糖尿病を起こし, これを春ウコンが抑えたのだろうか? 春ウコンは優れた抗ウイルス薬なのか? そう考えると, 風邪,癌,糖尿病などに起こっている色々な事実を, 包含して説明する合理的な考え方が可能かも知れないと思った. しかし, 後年, ウイルスに近い別の病原体との確信に変わった.
(5) 終わりなき戦いと, 不思議な変化
癌らしい症状が治まった初めの2年間は, 生の春ウコンの服用を継続していた. 2年経過した頃から乾燥粉末製品に切り替えた. その最大の理由は, 生の春ウコンはすぐに発芽するので, 保存は冷凍が必須だった. しかも, 入手は冬季に限られていたので, 他人からの要望に緊急対応が難しかったからである.
生に直ぐ切換えられる態勢をとりながら, 常時入手可能な粉末製品の効力を確かめた. 粉末製品の摂取量を生春ウコンの乾物換算量程度しっかり確保して飲めば, 生と効果が大差ないことを数年かけて実感できた. しかも, 外出や旅行を考えると粉末製品は簡便である. 様子をみながら粉末製品へ切換え, 最終的に粉末製品を常用し始めた. そして, それから何年かは非常用として生の春ウコンは冷凍庫に確保しておいた.
N社の春ウコン粉末製品は, 春ウコンと秋ウコンが約4:1の混合比率の商品であることを後に知った. この粉末製品で多面的な効果が見つかっているので, 効果に特段の影響を及ぼさない配合比率と考えている. しかし, 劇的に癌を抑えたように感じた生の春ウコンも捨てがたく, 成分と各種ウコンの比率などの厳密な比較は, 今後の研究課題でもある.
もちろん, [癌と思われる症状]が, 完全に治ったわけではなく, 何らかの理由(精神的に, ときには肉体的に)で体調を崩すと, とたんに出血と痛みが始まることを繰り返し経験した. また, 背中にうっすらと痛みと重い感じが出てくることもあった. それらの症状が出たときは少し多めに春ウコンを摂ることにしていた. すると, 数日間で症状が回復するので, この方法を以後20年間続けてきている. 出血の間隔が空くようになった3年後(50歳), 健康のために水泳を30年ぶりに再開した. 競技会への参加にも耐えられる体となった. 15年続けてみて, 適度な練習と試合は, 体調管理に重要らしいと実感している.
痛みや出血量の長期的傾向を見ると, 後に紹介するD氏(参照:1.1.2の(3)肺癌(1))の場合にきわめて近い. 春ウコンの摂取次第で症状の悪化⇔回復は可逆的とみられるが, 経年的にその強度や回数が段々に減ってきている. 減少の理由は定かではないが明らかに軽度化傾向にあり, 服用期間と共に減衰曲線を描いているようである(参照:4.2.2の3),4.5.8の2)). 感覚的には治癒に近づいているが, 20年経過した現在もゼロにはならず, 低空飛行の連続と感じている. しかし, 春ウコンに副作用のようなものは一切感じたことはなく, また, 摂り続けることによって効果が低くなっていく, いわゆる[薬剤耐性]e)や[リバウンド]f)のようなものも今のところ経験していない.
また, 癌らしい疾患を抑えたことに留まらず, 春ウコンを摂り始めてから不思議なことが身体に色々と起こった. これらは, すべて免疫と連動していることと思われるので簡単に記した. この経験を含め, 適応症拡大や各種癌が治癒に向かう経過などを併せ考え, 試論としてまとめた.
その一つが, 右足大腿にあった楕円形の大きな黒い母斑(ボハン=ほくろ)である. 下血の始まる2年程前から大きくなり始め, また, 少しずつ盛り上がってきていた. 「悪性母斑を触って刺激すると, 癌化する」とよく言われるので, 気にかかっていた. 下血と痛みが激しかった時は, これに気を奪われて母斑のことはすっかり忘れてしまったが, 体調が回復してふと思い出して見てみると, 大きさは3分の1以下の三日月型となり, しかも, 皮膚は平坦になっていた. そしてその後, ほとんど消失した. 経過観察はしていないが, 全身の回復と同時に良くなっていったと思うので, 悪性の母斑だったようだ.
視力についても不思議なことがある. 家族に近視が多い. 中学2年にメガネをかけることになり, 2~4年に一度は眼鏡の調整をしなければならない煩わしさが続いた. 47歳のころには, 老眼が始まったようなうっとうしさを感じたが, 春ウコンを摂取後に軽い老眼が消えた. その後20年間は近視のままで, 同じ視力を維持している.
また, 風邪に罹ることが少なくなり, 新種と思われるインフルエンザに苦戦することはあるが, 世間で大騒ぎしているほど悪化せず短期間でやり過ごしている. 風邪と併発していた口内炎やヘルペスにも悩まされなくなった.
さらに不思議なことに, 45歳を過ぎたころから白髪が出始めたが, 春ウコンを摂り始めてから白髪化が遅くなった. 実年齢以下と見られがちな黒髪である. このころ記憶に不安を感じ始めていたが, 改善したように思った. また, 数年来, スポーツの時に悩まされていた肘痛(いわゆる, テニスエルボー)や花粉症も2年ほどで消えていった.
これらのことをすべて春ウコンと直接結びつける話ではないかも知れないが, 幾つか起きた不思議に感ずることである. そして, これらの全てのことが短期間に同時並行的に起こり, しかも, その後も改善状態が継続している.
(6) 知人への紹介と適応症の拡大
末期の肝臓癌と直腸癌らしき激痛,下血が治まった経験を, もはや末期癌で治療手段がないと宣告された知人, さらには知人の知人の癌患者に, 「他に手段がないと医師から宣告されたのなら, △△△癌は初めてだが, 春ウコンを試す価値がある」と勧めてみた. また, 機会をみては, 「癌は抑えることができそうだ」と知人に伝え始めた. その20年間の結果は次の表となった.
表1 各種の癌への適応拡大の経過
◎は健在(②は数年以後は不明)
○内の数字は実施例の()内の数字に対応 Ⓜ松井 Ⓘ粕渕
イ)別名:アジュバント化学療法
ロ)⑥⑦⑧○23○24○27および前立腺癌⑩⑪⑫を除いて末期癌
「摂取」は「春ウコン摂取」,
「拒否」は「春ウコンの継続摂取を拒否」, をそれぞれ示す.
効果に大きな期待を持って春ウコンを勧めていたが, 当初は, △△癌,○○癌にも効いたと, 驚きの連続であった. 症例が増えて行く過程では, 「初めての癌だが効果は出るか?」, 「また同じ△△癌だが, 再現性はあるだろうか?」という心配の繰り返しであった. この間, 癌患者が罹っている他の疾患が同時に治まることも経験した. また, 体調の全般的な改善度が良くなり副作用の経験もなかったので, 知人に勧めていくうちに, 当初, 春ウコンの効果として予想しなかった広い範囲の適応症(表2)に, 副次的に拡大して行った.
表2 春ウコンの適応症の発展・拡大 (*印:副次的に拡大した適応症)
[何故, このように広範囲の疾患に効果があるのか]については, 第4章に試論の形で考察してみた. 興味のある方はお読みいただきたい. 一言で言えば, [表2の疾患はすべて感染症である. 免疫系がこれらの病原体を非自己(異物)と識別しているので, 春ウコンの摂取によって免疫系を強力に賦活した結果, 多種類の疾患を同時に抑えることができた. そして, 不明病原体の多くは植物ウイロイド(DNAなどの核酸系)に近いウイロイド・ライクと推測できた](参照:4.1と4.2)ということである. また, 今後, 春ウコンの適応症の範囲は, 表2の枠を超えて大きく展開することが容易に予測できる.
さて, 筆者A自身の直腸癌と思われる経験は, とかく, 強い思い込みで書かれたと思われがちである. [できるだけ正確に捉える], [客観的に見る]などの努力はしたが, 医師の診断を受けていないので除外してもよいと考えている. しかし, 2つの点で大きな意味があった. 1点目は, 筆者自身の疾患と知人の末期肝臓癌で起こった様々な事実と制癌剤開発時の経験とを対比して考えた結果, 春ウコンは癌などを抑える方法として他の方へ勧める価値が十分にある, と考えることができたことである. そして, 結果的に多くの方を救うのに役立ち始めた. 2点目は, 多くの方で起こった事実と筆者Aの経験を比較しながら, 免疫賦活のメカニズム, 癌,糖尿病などのとらえ方, 感染症とは何か, 病原体はどこから来たか, などの考え方を確かめていく原点となったことである.
以下, 癌,糖尿病,その他の疾患の順に, 疾患経過の概略を列記する. 癌については, 癌種ごとに時系列で紹介することにした.
(1)直腸癌(2) 高校時代の友人B氏(1941年生, 男性, 60kg)
B氏は1996年1月に直腸癌の手術を受けたが, 手術のことを昔の仲間にあまり言わなかった. 「B氏は癌の手術をして, 調子が悪くなったらしい」と聞いたのは, 3年後の1999年4月になってからのことである. 転移なども気になったので, 急いで会ってみた. B氏は, 直腸癌の手術では東京で評判の高いK病院で手術を受けて, 人工肛門となっていた. この病院は患者数も多く, ほぼ同年齢の同病の4人が, 殆ど同時期に手術を受けて同室に入院していたという.
手術から3年が過ぎていたので, そのうちの2人は既に癌が転移して亡くなっており, もう1人も転移して危険な状態らしいとのことだった. B氏自身も転移を心配せざるを得ない時期になり, 体調は必ずしも快調ではないということだった. 当時は, 直腸癌への制癌剤の効果が低いとされ, 制癌剤治療は受けなかったのは, 骨髄抑制の視点で幸運だった.
筆者Aが春ウコンで抑えた症状の経過を話したところ, 「ほとんど似たような症状をたどって検査を受けた結果, 直ぐに手術をすることになった」, とのことだった. B氏の「なぜその状況で手術を避けたのか」との質問に, 「かつて制癌剤開発に携わった時の知識では, 症状がかなり進んで手術を受けると『癌は取れたが命も取られた』となるか『早晩, 転移して死ぬ』と思った. 病院には行かずに熱い湯舟に浸かり, 下腹部を暖めながら症状を抑え, 延命をはかっていた. 最新の制癌剤について調べ直しても, 治療はむずかしそうだと諦めかけていた時に春ウコンの話が入って来た. 可能性がありそうだと思って直ぐに摂り始め, 3ヶ月で出血と激痛がほぼ完全に治まった」と答えた.
また, 「胃癌,食道癌を全摘した後に再発した癌の人に春ウコンが効いたので, きっと直腸癌の転移にも効くだろう. 春ウコン粉末を一瓶持ってきたので, 飲む気になったら試してみてはどうか」と言ったところ, B氏は春ウコン粉末をその日から摂り始めた(約5g前後/日, 3分割/日).
春ウコンは不味いので摂り続けているかが気になり, 1ヵ月後に電話してみると「摂り始めて2週間後ぐらいから体調が良くなってきた. 良くなったのを娘が喜び, 同じ商品をたくさん買ってきてくれたので摂り続けている」とのことだった. これで安心できると思っていたところ, 5年後の2004年7月末になって, 「B氏の体調が思わしくなさそうだ」と仲間が言ってきた. 何人かの友人とB氏を訪ねて話を聞いてみると, 当初伝えた量より, 春ウコンの摂取量がかなり減っていることがわかった. そこで春ウコン粉末量の摂取を1日5g以上に増量し3分割して摂ることを勧めた.
増量して飲み始めたところ, B氏の体調は1ヶ月程で回復した. また, 癌の手術時に感染したMRSAでも死の危険にあったが, これも同時に治まった. そして, 手術後8年間にわたってMRSA感染による痔ろう化を繰り返していた人工肛門周辺の化膿がほぼ完治した. 体調不調の原因が何だったのかを今からでは把握できないが, 顔色も悪かったので癌の再発に近い状況だったのではないかと思う. この体調不調とMRSA感染が同時に良くなったので, 摂取量と摂取の仕方が重要な要素であることが, この件で一層はっきりとした.
経過観察をしていた医者も本人も, MRSA感染による痔ろう化部分を抑えたことを驚いたという. この結果, 人工肛門を取り外して肛門と直腸をつないで元に戻す手術が可能と診断された. MRSAの再発を心配してしばらく様子をみたあと, 2005年5月には肛門の手術ができると判断され, 再手術が行われた. 恐れていたMRSAの再発も再手術後に問題化することなく, 術後は順調に推移し, 水泳ができるまでに回復した.
直腸癌転移からの回復,MRSAの治癒,肛門の再活用など, 医師にとっては極めて特異なケースとなったので, 医師からの要請により2007年以後, 1年に1回, 首から下の全身CT検査が始まった. 癌は全く発見されてない. また, かつて高かった癌マーカー値は正常値となっている. 癌の次にMRSAのために死にそうになったB氏だが, それらの再発も起こっていない.
現在は, 腸をつないだ部分に硬い食べ物が詰まりやすい後遺症に苦しむことはあるが, その他の体調は極めて良好である. 再発らしい状況を抑えたまま, 長期間, 癌が消えた状況が継続しているので, 医師から見れば極めて特異なケースのはずである. なお, PRESIDENT誌(2004年5.17号)にFORTUNE誌の翻訳記事があり, その中に[結腸直腸癌の末期患者は通常16ヶ月以上は生存しない]とあるので, 春ウコンの摂取で14年生存しているB氏は医師の常識からは[有り得ない例]となる.
なお, 転移したらしいという最後の同室者も, B氏が春ウコンを始めた少し後に亡くなったということなので, B氏だけが手術後14年間以上延命していることになる. また, この間に糖尿病も大幅に改善した(ヘモグロビンA1cが9.2から7.1に低下したのは, 1.3(5)WD氏の2008年12月以前の状況に近い).
(2) 大腸癌 国立研究機関の研究者C氏(1932年生, 男性)
C氏は, 糖尿病の悪化によってインスリン療法を開始することになった. そして, インスリン投与のトレーニングのため2004年7月に入院したところ, 腸を閉塞するほどの大きな大腸癌が見つかり, 2004年8月に点滴を受けながら癌の切除手術を受けた. 医師から「癌は取れるだけ取った」と言われたが, 完全には取りきれなかったようだ.
春ウコンが良いことを筆者I(Ⓘと略記)から教えられ, 手術が終わって食事が取れるようになると同時に, 医師には言わずに春ウコンの摂取を開始した. すると, 糖尿の指標値が激減し, インスリン注射は不要となり, 薬は糖尿病初期に投与される量にまで減量された. 医師は「考えられないことではないが, 私には初めてのケース」と言って, 首を傾げながら驚きを隠せなかったようであった. それでも, 9月の退院時に「余命は数ヶ月」と家族は医師から宣告され, 「病院での治療は終了した」と言われて自宅療養となった.
ところが, その後も春ウコンを摂り続けていたので, 2005年の正月には「あと10年は生きられそうだ」と言えるほどに元気を回復した.
この回復ぶりを見た医師は, B氏に「制癌剤をやらせてほしい」と言ってきた. 筆者Iから「制癌剤治療は決して受けないように」とC氏に伝えていたので, 医師には「やりたくない」と抵抗したという. しかし, 医師から強く制癌剤を勧められ, やむを得ず「副作用が出たら直ちに制癌剤を中止する」という条件で治療を開始し, その後制癌剤の投与が繰り返し行われた.
春ウコンを勧めたⒾに「制癌剤はダメだ」と言われていたので, その後C氏に会ったときも制癌剤を投与していることを告げなかった. 2005年7月までに制癌剤を数クール実施した結果, 病状は極めて悪化して食事もとれなくなり, 再入院となった.
病状は好転せず, 同年11月末に医師から再び余命1ヶ月と言われて自宅に戻された. C氏は周囲に「制癌剤をやるとつらい」と洩らしていたが, Ⓘには言わなかったので, 制癌剤のことを知ったのは12月下旬のことだった. Ⓘが直ぐに自宅に見舞ったが, C氏は生気が衰えていた. 春ウコンは継続して摂っていたが, 制癌剤の威力は物凄く, 免疫力が大きく落ちて脳幹にまで癌が進んだためか, 言葉が不自由になっていた. そこで, 春ウコンの錠剤を1日50錠(春ウコン粉末1日5g相当)に増量して飲むことを勧め, C氏はこの日から直ぐに飲み始めた. しかし, 最早手遅れだったようで, 2ヶ月の延命しかできず, 3月中旬に亡くなった.
瀕死の状況から春ウコンで一度は曳き戻すことができた命を, 再度, 制癌剤が死に追いやってしまい, 残念な事例となった. 二度目の場合でも, もう少し早く気付くことができれば, 春ウコンが制癌剤の副作用を阻止して命を確保できたようにも思える. 後述するD氏とE氏の教訓を活かそうとして, C氏にはⒾからのアドバイスが伝わっていた. しかし, 患者と医師の関係で医師の希望を優先した結果, D氏およびE氏と同じ悲劇となり, 制癌剤の恐ろしさを示す例が追加されることになった.
制癌剤による免疫低下力は凄まじく, 末期癌から回復したばかりの患者にとっては, 極めて厳しい状況に晒されたと推測される. 制癌剤の免疫低下力が春ウコンの免疫賦活力を遥かに凌ぐことを示す例となった.
(3) 肺癌(1) 大学時代のクラブの先輩D氏(1937年生, 男性, 55kg)
会社の部下が肺癌の手術を受けたので見舞うと, 「癌が大きかったので手術を急いだ. 転移を心配している」と言った. 後述する転移癌(17)の直後だったので, 転移にも効果があるかも知れないと思い, 生の春ウコンを勧めたところ, しばらくして「春ウコンを摂って体は快調です」と言ってきた. 手術が上手く行ったのかも知れないと思ったが, 術後1年過ぎても転移もせず, しかも顔色が大変よいので春ウコンは効いていそうだと喜んでいた.
丁度その頃, 大学時代の体育会系クラブのOB会のボスから, 「お前, 癌に効きそうな物があると言っていたな. 制癌剤開発経験もあるし, いい方法があったら鴨川市の病院に入院中のDのところに行ってくれ. ターミナルケアで米国から日本に戻ってきた. 肺癌で死にそうだ」と言われた. むずかしい癌と言われている肺癌に, 部下と同じようなことが起きてくれることを期待して出かけた.
D氏は一緒にクラブ活動をした時期のない先輩で, しかも卒業後間もなく渡米し, その後はずっと米国テキサス州ヒューストン在住の方なので馴染みもなかった. どのような心境で療養されているのか, 話をどう切り出すか, に不安があった. 30年振りの対面は双方に少し見覚えがある程度であったが, D氏は癌の経過を淡々と話して下さった. 以下にその内容を簡単に記す.
【米国でトップクラスの病院であるM.D.アンダーソン癌センターで肺癌と診断され, 直ぐに手術を受けた. 手術を開始したものの, 癌の大きさと部位のむずかしさから切除は不可能と判断された. 手術は中止となり, 病巣に手を付けることなく縫合された.
少しでも延命につながるようにとの米国病院の勧めにより, ターミナルケアのため退院して日本に戻ることにした. そこで, 温暖で心穏やかに過せるところとして, 幼少の頃に夏休みを過した思い出深い千葉県・外房の安房天津にほど近いK病院に入院した. この病院の医師からの勧めは, 温熱体を癌の部分に埋め込む手術(広島大の温熱療法)だったが, メスを入れることが体にとって大きなストレスとなり, 寿命を縮めることになる, と考えたので, D氏はこれを辞退した. 肺癌は約3cmの大きさになっている. しかも, 切りにくい場所なので, 最早打つ手は無い, とのことだった.
日本に戻って以降, 癌に効くというものを色々な人からたくさん紹介されたが, よくわからない物が多いと言った. そのなかで玄米食だけを勧めに従って食べている. 】, ということだった.玄米食の効果の程をたずねると「癌の大きさに変化を与えるような効果は出ていない」とのことであった.
余命何ヶ月との具体的な説明はなかったが, 「日本に戻って昔の仲間にもたくさん会えたので」と, 覚悟が決まり達観されているのを言外に感じた. そこで, 「温熱療法以外に良い療法はないと私自身も考えていた. それに近い方法を実行しながら色々調査していた時に行き着いた春ウコンは, 驚くほどの卓効を示した」とD氏に3例の経験を詳しく話し, 当日持参した生の春ウコンの飲み方を伝えた. 「他に手立てが無いなら, 是非試してみて下さい」と言って, 継続服用を勧めた. 同時に, 癌を温めるために自分でも採っている方法として, [肌着の上から患部と思われるところに携帯用カイロを貼ること]を勧めた.
1ヶ月を過ぎたところで鴨川のD氏から電話が来た. 「2001年12月7日より勧めに従って[カイロを貼ることと生の春ウコン摂取]を始めた. 春ウコンは, 言われた通りに1日30gを3分割して服用したところ, 翌月10日前後のX線検査では, 3cmの白い円形の癌が, 缶詰のパイナップルを斜めから見たように楕円形に黒い切り込みが入り, 中央が黒く抜けた状態となってきた」という. 大した期待も無く始めた春ウコンの効果に, D氏自身も驚いたようだった. さらに, 「医師も首を傾げながら『寛解(完全治癒ではないが, 病状が快方に向かっている)と言える』と診断した」とのことだった.
3月末になると癌の症状が完全に治まったので, 医師は治癒したと診断して退院を許可し, D氏は米国に戻った. 治癒はむずかしいと言われていた肺癌にも春ウコンは卓効を示した. 先輩が退院できたことに安堵すると同時に, 肺癌で
図1 末期肺癌の回復経過の模式図
も末期肝臓癌(T大病院)(参照:1.1.2(13))と同じように, 医師が「治癒,退院可」との診断結果を出すことができるような病巣の状況になったことに感激した. 末期肝臓癌, 直腸癌らしきもの, 胃・食道癌全摘後の末期の転移癌に続く4例目に, ただ驚くばかりであったが, 固形癌をはじめとして各種の癌を抑えることの可能 性が開けていくように思えてきた.
D氏には, 「癌は治るものではないと考えている. 治癒と言われても春ウコンを継続して飲み, 癌を抑え続けなければいけない」と伝えていたのだが, 医師の「治癒により退院してよい」との診断に, 「治った!」と思って米国に戻り, 春ウコンを飲み続けてくれなかった.
2002年8月に肺癌を再び悪化させて体調を崩したD氏は, 日本に再帰国して「癌が悪くなった」と電話をしてきた. 再発確認までの期間は150日程であった. 3月に言ったことを繰り返し, 春ウコン摂取を再開し, 何年かは継続摂取するように勧めた. そこで, D氏が日本にストックして置いた生の春ウコン(冷凍品)の摂取を再開したところ, わずか30日で癌が治まり体調が再び良くなった. 再摂取後の癌の回復速度は極めて速かった.
癌が消失して治癒した, と診断されても, 消失直後に春ウコンの摂取をやめてしまうと癌は再び悪くなる. しかし, 春ウコン摂取を再開すると癌は再び消失することが確認できた. D氏の春ウコン摂取条件で, 医師が[治癒した]と診断する状況まで症状を抑えることはできたが, 短期間の摂取では病原を完全には取り除けていないことも確認することになった. 短期間の春ウコン摂取では, 摂取次第で, [癌の悪化⇔回復]を繰り返す可逆性がある, ということがわかった. 長期間摂取で癌の病状と病原がどうなるのかは, 継続摂取した後の結果を解析してみないと判断できないと考えた.
この頃になると, 粉末製品でも生の春ウコンでも大きな差は無さそうだ, という感触を自分の体を通してわかり始めていた. D氏が再び米国へ戻る時には生の春ウコンが尽きてしまい, 入手不能な時期だったので, 粉末製品を持ち帰るように勧めた.
その後は何も連絡がないので, 粉末製品で癌を無事に抑えているだろうと思っていたところ, 2003年8月中旬に日本に再帰国し, 「新しいメカニズムで効く肺癌専用制癌剤[イレッサ]の臨床試験が始まる. これでで完治させたい. どのように思うか」と電話をしてきた. 「体調は良く, 医師から肺について特別な指摘を受けていない」と言うので, 春ウコン粉末製品の効力を再確認できた. D氏の質問に対しては, 「今までの経験では, 制癌剤に卓効があるとは思えない. 新薬のイレッサについては全く知識がないので判断はできない. しかし, 癌が治まっていて健康上に問題がないのだから, 新薬の臨床成績がまとまるまで待った方が良いと思う. 臨床結果が出るまでは現在の健康法を続ける方が得策と考える」というような内容の話を, 例を挙げながら時間をかけて話をした.
それは, この電話のあった2ヶ月前に, 肺癌(2)のE氏が快方に向かいつつあったところを, 制癌剤シスプラチンと放射線を組み合わせた治療を始めて約3週間目に急逝し, とても無念な思いをしたばかりだったことも要因の一つであった. 初めて聞く名前の制癌剤イレッサが, [新しいメカニズムで考えられた新薬]と聞いても, 可否を判断できなかった. また, [卓効のある制癌剤の話を聞いたことがなかったのは, 生命現象の根幹と癌とが余りにも近いので, 両者を峻別することが制癌剤では難しいためではないか], と考えていた.
また, D氏は「大変, 元気だ」と言うので, イレッサの臨床試験を受けても十分に耐えられそうな健康状況に思えた. それでも制癌剤治験に参加しない方が得策と考えたので, 「様子見をした方が良いのでは」と言いながら, 先方からの質問に対して, こちらの見解をはっきり伝えた. D氏は既に1年8ヶ月延命し, 春ウコンの効力を実感していた. しかし, こちらは, イレッサとの比較検討をしたこともなく, また, 医療行為を当然できない立場だったので, D氏に春ウコンの継続を強く勧めることはしたものの, それ以上強く言えなかった. 浅い経験からではあるが, 精一杯の努力をして, 電話はここで終った.
しかし, 私のアドバイスより医師の勧めに従うのは当然のことである. 後で聞くと, 直ぐにイレッサによる臨床試験に応じたという. イレッサの治験前は, 元気にしているとのことだったので, 多少の制癌剤は乗り切ってくれるのではないかと思っていた. ところが10月中旬になり, [D氏を偲ぶ会, 11月某日, 某ホテル]の案内が届き, 呆然とした事を今でもよく覚えている.
偲ぶ会に伺い, 病院でいつも付き添っていた甥の方に話を聞くと, イレッサを始めて約40日後の9月28日に急逝されたということであった. そして, 会場で甥の方から「本当に, 春ウコンだけで癌が抑えられるのか」と聞かれたので, 「現時点では例も少なく, まだ良くはわからない. 私ほか2人は春ウコンだけで救われている」としか言うことができなかった.
もちろん, イレッサによって肺癌から救われる人はたくさんいるだろう. D氏は春ウコンでターミナルケア段階の肺癌を抑え切り, 1年半以上も元気にしながら仕事をしていた. それだけに, 新薬治験に飛びつく必要はなかったと悔やまれた. 治験結果と投薬ノウハウを見てから判断しても良かったのではないかと思える, 無念なケースとなった.
イレッサについて, 副作用の間質性肺炎などで多数の死亡患者が出たという新聞記事を読んだのは, それから1年以上経ってからのことだった. 結局, 米国では厳しい使用制限が付き, 欧州では製造元が承認を取り下げ, 最初に承認した日本だけが残った. 筆者が質問された時点では, 治験を担当した医師でも答えは用意できなかったかも知れない.
D氏の件は極めて残念な結果となってしまった. 米国の著名な癌センターと日本で極めて評価の高い病院が, 共に手立てがないと判断したターミナルケア中の末期肺癌患者を, 春ウコンは, 医師が[完治した]として退院許可を出すまでに回復させた. このことは, 春ウコンによる方法が大きな可能性を予感させるケースとなった. 春ウコンで抑えることができる癌種の可能性が, 治癒はむずかしいと言われている肺癌にも拡がり, 春ウコンの勧め易さが一層出てきた. 同時に, 制癌剤の怖さを思い知ることともなった.
無念な知らせを受けてみると, 相談に乗るだけでなく, 書いた物を作る必要性を感じた. 癌をはじめとする幾つかの成人病が治まっていくのをみると, 成人になって一斉に出てくる成人病の病原には何か共通する一群のものがあると推測され, これをウイルスと, 一応, 仮定した. そこで, これらを説明するためのペーパーとして[老化~免疫~遺伝子~ウイルスと健康]の図9(参照:2.3(3))を作った. 本書の[試論]の第一版とも言うべきものであるが, この図9を使いながら持論を説明し, 健康談義をしながら春ウコンを試したい人に勧めることにした. 部分的には今回の試論と異なる点は多少あるが, 考え方と基本的な捉え方は変わっていない.
(4) 肺癌(2) スポーツクラブの仲間E氏(1938年生, 男性, 55kg)
E氏は, 風邪が治らないので検査を受けたところ, 2002年12月下旬に肺癌が発見された. 1月中旬には第1回目の制癌剤(シスプラチンなど)による治療を受け, 何クールかの制癌剤治療が行なわれた. しかし, 医師からは「体が若く, 癌の進行は大変速い」と言われ, 3月中旬には酸素マスクを必要とするほどまで病状は悪化し, 自宅療養を勧められて家に戻った. スポーツクラブの仲間からE氏の病状が知らされた. 病院で受ける治療はもはやないと聞きいたので, 家族と本人の希望により3月下旬より生の春ウコンを摂取することにした. 1日30gを3分割して飲み始めたところ, 4月末日には酸素マスクが不要となるほどまでに病状が回復した. 1年前に前述の肺癌(1)のD氏に起こったことが再現し, 同様のスピードで, 肺癌の症状が改善しているように感じられた.
5月初旬に病院で診察を受ける手筈ができていると聞いたので, 事前にE氏と家族に会い, 「酸素マスクが外せるくらいになったので, 肺癌は大分良くなっているはずだ. 医師から制癌剤投与をもう一度したいと言われるかも知れないが, 制癌剤は副作用が強いし, E氏に効果がなかったはずなので, 体調が回復するまで待って貰いたい, と言った方がよい」と助言した.
5月の連休過ぎにE氏は検査を受けに病院へ出かけた. 元気になりはじめていたE氏を見た医師から即刻入院と治療を勧められ, 5月中旬から制癌剤投与を2クールと放射線治療を受けたことを後で知った. 制癌剤治療を始めてからわずか20日後の6月初旬に急逝し, 再び家に戻ることはなかった. 制癌剤治療に入らずに, 効果が出ていた春ウコンをもう少し続けていたら, もっと体調は回復していたのではないかと, 大変惜しまれるケースであった.
4ヶ月後には, 肺癌(1)のケースでも全く同じようなことが起こった. 患者は, 病状が良くなった時に「春ウコンが効きました」と医師には言いにくいのかもしれない. また, 患者本人が春ウコンは効果があるものだという確信を持てていないこともあるように思った. また, [制癌剤],[抗がん剤]という癌を抑えてくれそうな魅力的な名前の薬に, 癌患者は惹かれて当然と思った.
制癌剤治療が効かなかったから自宅に戻した人に, 再び同じ制癌剤治療をしても効くことはない筈である. しかし, 患者が良くなってくると治療した範囲で良くなったと医師が考えるのは当然のことであり, 再度, 制癌剤治療に入ってしまうようである. 乳癌に罹った女性医師(筆者Aの友人の妹)が制癌剤治療を受けない方が延命につながるとの判断から, 制癌剤を拒否したまま亡くなったと聞いた. この件は, 制癌剤の効果に対して疑問を持っている医師がいるということ, 延命のためには制癌剤を使用しない方が良い場合があること, などを示唆しているように思う.
D氏の病気の期間中にE氏の肺癌は発病し, シスプラチン治療を受けて亡くなってしまった. D氏が肺癌から回復した経過をそのまま活用して, E氏はかなり回復した. D氏が元気だったので, E氏にはそのまま春ウコンを続けるように勧める努力はしたが, シスプラチン治療に入り亡くなってしまった. アッと言う間のことだった. E氏の悲劇的な結果をD氏に伝える努力をしたが, イレッサ治療を選択したD氏も不幸な結末を迎えた. イレッサが一般的に知られている時期ではなったので, [肺癌専用に作られた新しいメカニズムの制癌剤]と言われると, D氏には希望の星に見えたのであろう.
肺癌から春ウコンで回復したD氏と回復傾向にあったE氏を, 半年の間に制癌剤治療により失った. 制癌剤の種類は異なるイレッサとシスプラチンであったが, 同じような経過で急逝されたことは極めて残念なことであった. 制癌剤治療にはかなりの基礎体力が必要のようであり, [癌を抑えているような人の体力では元気そうに見えても勝つことはむずかしいのか], と思った. 同時に, [健常者でも制癌剤にはなかなか勝てないのかも知れない], とも考えた.
(5) 肺癌(3) 公務員F氏(1945年生, 男性, 65kg)
F氏は, 元実業団で鳴らした水泳選手で, 前年までは400m個人メドレーなどの過酷な中長距離レースを颯爽と泳いでいた. それが激変し, 2003年5月に行われた全日本の大会では, 50mの短距離レースですら泳ぐのがやっとの状況となっていた.
前年より遥かに遅い記録で50mをやっと泳ぎ着くという状況に驚き, その訳を訊ねると, 「肺癌で泳ぐのもつらい状態だが, 皆さんに会いたくて試合に来た」と, 皆にお別れに来たようなことを言う. これまでの経験の中から自分自身の事情とターミナルケアから退院できた肺癌(1)を中心に, 何人かに勧めた春ウコンの効果をプールサイドで手短に話し, 翌日に粉末製品を送ることを約束した. F氏は「敵に塩を送ることになりますよ」と弱々しく笑っていたが, 到着後に提案した用法用量で即日飲み始めたという.
その結果, 翌年には100mを立派な記録で泳ぎ切るまでに回復し, さらに2006年3月の試合では200mを立派な記録で泳ぐほどに完全復調した. 1年で普通の体力となり, 3年後には完全復調を果たしたことになる. しかし, 時々, 息苦しくなると言うので「息苦しいというメルクマールを大切にして, 息苦しくなった時には春ウコン粉末を3ヶ月間は1日5~7gに増量して飲むこと」を勧めた. 春ウコンの摂取次第で回復も悪化もすることが, 肺癌(1)で明確となった. F氏はほぼ完全に回復したようなので, 無念な思いをした肺癌(1)(2)の経験を伝えた. 2009年5月の試合でも活躍している.
(6) 肺癌(4) 企業OB(1930年生, 男性, 体重45kg)
長崎市に住んでいた15歳のG氏は, 昭和20年8月9日(1945年), 轟音が聞こえたので飛んできた飛行機を確認しようと, パンツ一枚の裸で庭に出て空を見上げたその時に原爆による閃光を浴びた. 爆心地から僅か3.5 Kmの所にあった自宅での, まともな被爆であった. 以来, 癌の発症が常に頭にあったので, いつも注意はしていたという.
2008年5月頃から, 夜, 咳き込むことが多くなり痰も出るようになり, 喘息がひどくなったと感じた. 血痰も出るようになったので心配になり, 近所のクリニックに行ったところ, 大病院での検査を勧められた. Y医療センターで6月3日にCT検査を受けた. 小さな写真であったが, 肺の左下にグレーの中に白いハッキリした丸があり, 医師から「悪性を否定はできない. 肺癌を覚悟してもらいたい. 1ヵ月経過をみた後に精度の良い機器があるYR病院で再検査をする」と言われた.
6月18日の昼, A社のパーティーで会った時に, G氏から5月以後の経過を聞いた. 「肺癌を覚悟した.春ウコンは摂っていたんだが」との説明と再検査までは治療はしないと聞いたので, Mは その場で春ウコンを10錠(1g)摂ってもらい, その日から50錠/日(5分割/日)を飲んで再検査を受けるように勧めた. 同時に, 春ウコンの効果をサポートするものとして「総合ビタミン剤2錠/日とヨーグルト(オリゴ糖をたくさん加えて腸内免疫を向上させ, 食事を高蛋白質化する)」を勧めた. G氏は, 以前にMから春ウコンの良さの説明をうけていたので多少は摂っていた. しかし, 癌を抑えるには量が少なかったので, この日から上記の用法用量を実行した.
7月2日にYR病院で精度の良いCTの再検査を受けた. 医者は「薄い影のような微かな跡はあるが, ハッキリした白いものはなくなっている. 癌ではなかったのか?単なる炎症だったのか?」と言いながら6月3日の写真とを見比べて, 「でも, 癌だったなあ」とも言われた. しかし, 結果は無罪放免となった.
「僅か2週間の摂取の間に, 股関節の痛みが軽減し始め, 喘息(喘息のような咳の意味か?)が治まった. 身体の全体的な調子が良くなり, 元気が出てきた」と電話してきた. こちらからは, 「医師から良くなったと診断されたことは大変嬉しいが, 寛解と言われる状態のように思う. また, 肺以外にも癌がある可能性があり, 今までの摂取条件でしばらく続けた方が良いと思う. また, 時々検査を受けてチェックしていった方が良い」と伝えた.
7月12日に電話があり, 「まだ血痰が出ているが, 肺癌は治っていないのか」と聞かれた. こちらからは「癌は抑えることはできるが, 癌を短期間に完全には取り除けないと思ったほうが良い. 寛解と言われる状態のようだが, [薄い影]は, たくさんある小さい癌だと思ったほうが良いと思う. CT検査で見えない癌もあるだろう. 医師から良いと言われて安心せずに, 癌を一掃するために少なくとも3ヶ月, できれば3年はしっかり春ウコンを摂取してもらいたい」と, 他の癌の再発例などにも触れながら, この20年間の経験を伝えた.
その後に連絡がなかったが, 一ヶ月した頃に長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典のTV中継を見ていてG氏のことが気になった. 翌日(8月10日)に電話で症状をたずねたところ, 「体調は極めて良くなり, 血痰も完全に治まった. 春ウコンはしっかり摂っている」とのことであり, 安心できる状況になってきたようだった. しかし, 時々検査を受けるように勧めた.
いつも被爆体験が念頭にあり, 体調管理には神経を使っていたので, 運よく早期発見ができた. その上, すぐに春ウコンを適正量摂取して免疫賦活をすることができたので, 15日間ので寛解となったようだ. 末期の肺癌(1)のD氏が, 寛解までに40日, 消失までに100日であったのと比較して, 約半分の期間で癌が消失したのは, 早期発見ができたためであろう. 以上の概略を図示とすると以下となる(白紙で表現しにくいので黒白を反転させた図とした).
図2 肺癌(中期?)の回復経過の模式図
4ヶ月後に話を聞く機会があった. 肺の自覚症状は全くなくなり, この間に受けたレントゲン撮影では何の指摘も受けなかった.
また, 10年ほど前から痛み始めた左股関節は, 数歩毎に立ち止まるほど痛かった. この間, 外科では「関節の骨がギザギザになっている. 加齢現象なので直すのは難しい. 電気をかける以外の方法はない」と診断されて電気をかけていたが, 一進一退が続いていて, その効果は確認できなかった. しかし, 春ウコン摂取量増加(6月18日)以後, 肺癌の消失と同時に, この股関節痛がどんどん軽快した. 秋に入って外科医の診察を受けたときに状況報告をすると, 「もう, 病院に来なくて良い」と言われて治療は終了した. 半年が過ぎ, 筋肉痛が多少残っているだけでほぼ正常に戻った. 免疫が関与した関節の骨の異常とも考えられ, この病原体もウイロイドライクと考えている.
また, B型肝炎(他人に感染しないEまたはCタイプ)にも罹っているとのことで, この経過にも注目したい.
さらに, G氏が原爆の被爆者だったことから, 関連した話題として原爆実験, チェルノブイリ原子力発電所事故, 劣化ウラン弾などの放射能被曝者などの癌が, 思い浮かぶ. 発癌特性(白血症・肺癌・甲状腺癌など)と原因(放射線・放射性粉塵など)を調べ, 治療法として春ウコンを検討することも課題となろう.
(7) 肺癌(5) H氏(1929年生, 女性, 体重50kg)
背中と首筋が痛み始めたHさんは, 2008年10月16日に近所のSH病院で検査を受けた. 私立KR大学教授が担当医の日で, 訴えを聞いた医師は一般的な血液検査, CT検査, 腫瘍マーカー検査(CYFRA,ProGRP,CEA(EIA)など)g)を行った. 10月21日にこの検査結果を医師から聞いたところ, 「CT検査で白いはっきりした影があり, CEAマーカー値が15と高い. 肺癌の疑いが強いので, 勤務先のKR大学付属病院で11月13日に再検査して治療方針を決めたい. 」と言われた.
10年ほど前に妹が肺癌となり, 手術をした後に転移が始まり, 制癌剤治療や放射線治療など, 手を尽くした後に自宅に戻され, 苦しんだ末に亡くなった. この時のことをよく覚えているH氏は, 「癌と確定診断されても, 手術などの治療はしたくない」と子息のWD氏に伝えた.
一方, 春ウコンで子息の糖尿病(1.3(5))が良くなり, 多くの癌が良くなっているとの情報を知っていH氏は, [春ウコン60錠(6g)/日(3時間毎に10錠), 総合ビタミン剤ポポンS2錠/日, オリゴ糖入りヨーグルト(腸内細菌の善玉化)]の摂取を10月21日より始めた. 背中の痛みは10月25日には消え, 同時に, 顔の張りや血色が良くなり, 体調が全般的に良くなってきた.
予定通り11月13日に検査を受け, 結果を11月20日に聞いた. 医師から「CEAマーカー値は正常値となり, CT検査,血液検査は問題なく, 肺癌の心配はない. しかし, 10月21日の検査結果にあった癌が, 肺の裏に隠れているかも知れないので, 3ヶ月毎に再検査する」と言われた. 経験豊富な医師から見れば10月21日の検査結果は肺癌と確信できたので, 11月13日の結果は再確認が必要と判断したと思う.
心配もあったためか, 次回の検査は少し早めて2ヶ月後の2009年1月8日となった. CT検査による再確認をしたが, 肺癌の指摘は全く無くなった. 3月と5月のCT検査も無事にパスし, 一段と健康になってきた. ただ, CT検査で1月以後に全く動かない薄い影があると言われた. 1年を経過した2009年11月時点で, 聴診器診断で肺のノイズもなく, 何事もなかったように元気である.
肺癌(1)と(4)のD氏とG氏の場合には, H氏のように[影が残っている]との指摘を受けていない. [D氏とG氏の場合は上皮細胞部分に癌ができたが治まり, 新陳代謝で細胞に跡形が残らなかった. 一方, H氏の癌は新陳代謝の少ない間質細胞u)部分にでき, 癌状態を脱した間質細胞が代謝されないので, その細胞が影のように見える], とも推測できる. 2010年2月末のCT検査ではこの影が全く消え, 担当医から「どこが癌だった?」と言われる状態になった. 肺の間質細胞の新陳代謝に1年2ヶ月要した, と言えるだろう.
(8) 肺癌(6) 知人のLA氏(1958年生, 男性, 体重65kg)
自宅から近いKT病院で2008年2月4日に, 血尿と右脇腹痛のために受診したときには特別な指摘事項はなかった. 2008年7月22日の夜, 突然の血尿と背中の激痛があったので, 翌日, KT病院に検査を受けにいった. レントゲン検査で右腎癌と診断され, 7月30日に手術となった.
手術時間5時間20分の開腹手術で, 右腎臓全部(14×13×4cm,330g)と尿管を摘出した. 癌は,[腎に限局した10×5×3cm大の黄色調,小出血を伴う上極の結節性腫瘍(pT2)]と判断された. また, 組織学的には, [腫瘍は淡明な胞体を有する異型細胞が胞巣状~一部で腺管状に増殖するRCC(腎臓癌:renal cell carcinoma)であり, 異型度はgrade 1‹2, 腫瘍は膨張性に発育, 非癌部との境界明瞭(INFα), 切除断端(-), 腫瘍内静脈侵襲:Ⅴ(±), Malignancy(悪性)!]とカルテに記載されていた. 手術後の制癌剤,放射線治療は無効なので, これらは実施されなかった.
癌は破裂していたので, 肺への転移の可能性を示唆された. 8月5日に退院し, 2009年1月までは, 毎月[全身CT検査, 胸部レントゲン検査]を受け, その後5月20日までは2ヶ月ごとに同じ検査を受けて, [異常なし]とされた.
親友の腎臓癌摘出について, WD氏(参照:1.3(5))から筆者A(Ⓐと略記)に相談があった. 他の臓器の癌も心配なので, WD氏を通して春ウコン粉末の摂取6g/日を勧め, 2008年8月5日から2009年5月20日まで続けた. 5月20日の検査で「異常なし」と言われて安心し, 春ウコン摂取を中断した.
2009年9月9日に3ヶ月の経過観察があり, 肺に6ヶ所の癌が見つかった. 「最大1.8cm. 癌が5ヶ所までなら手術はできるが, 6ヶ所なので手術は不可能. 家族に今日の事実は伝えるように」と担当医から伝えられた. LA氏は, 余命については怖くて担当医に聞くことができなかった.
9月9日からネクサバール錠200mg(バイエル薬品) 4錠/日の服用が始まった. LA氏の上司からWD氏へ, LA氏のきわどい状況が伝えられ, WD氏からⒶへ再び相談があった. 急ぐ必要があるので, 3ヶ月前までLA氏に効果があった春ウコン6g/日の摂取を9月11日より再開した. 9月23日にはネクサバールの副作用(剥脱性皮膚炎, stage2)で歩行困難となり,重い副作用のために 服用が中止されたが、春ウコンは継続した.
LA氏が歩行できるようになった10月1日にⒶと会い, 春ウコン粉末の摂取量を8g/日(6~7分割, 秋ウコン分を除外)が経験上は適量であると伝えた. 春ウコンの摂取以後, 癌は縮小傾向をたどり, 下の表の通りとなった. この表をグラフ化したのが図21(参照:4.5.6)である.
春ウコンを中止した5月20日から9月9日までのわずか110日の間に, 一気にCT検査で末期癌まで悪化した. このことから, (イ)春ウコンの抑止効果の大きいこと, (ロ)早期発見の難しいこと, の2つのことが言える. LA氏は, 手術ができなかったこと,身体に合う制癌剤がなかったこと, 春ウコンの使用経験があったこと, などが幸いして, 手術と制癌剤なしで快復に向かった.
CT検査による肺癌(6ヶ所の最大径)の変化
春ウコン粉末摂取量:イ)6g/日(9月11日~10月1日) ロ)8g/日(10月2日~)
ハ)大きさは前月と変わらないが, 影が薄くなる.
12月18日の検査で, 小さな癌は消え始めたが最大径が縮小しないので, 制癌剤投与後2ヶ月で骨髄抑制が出始めた疑いがある. 仕事と酒の量を減らさない点も気に掛かる. 担当医から「癌が5ヶ所になったので摘出手術ができる」と勧められたが, 様子見とした.
春ウコンを摂り続けていても, 2010年初めの検査では癌が多少大きくなったので心配したが, 2月末の検査では癌が4ヶ所となり, 大きな癌の影が薄くなり始めた. 2009年9月11日に春ウコンをすぐに再開し、癌を約30%まで小さくできていたので12月末以後のきわどい局面を乗り切ることができたのだろう(参照:4.5.6の図21)。この経過を見た担当医は,「癌が消えそうだ. この抗がん剤で癌が消えている例もある」とLA氏に伝えた. 医師との関係を保つためにネクサバールを購入し続けていたので,継続使用していると誤解したようである.一週間だけ摂取したネクサバールの骨髄抑制が3ヶ月で消え始めたとも考えられる. 影が薄くなり始めたのはH氏(前項(7))の経過に近いので, 癌が消えた後, 1年ほど影が残る可能性がある. 骨髄抑制が再開することも考え, 再び様子見となった.
(9)前立腺癌(1)腎臓癌(1) 筆者I(1944年生, 男性, 65kg)
2003年に東京のNC病院で前立腺癌の全摘手術を受け, その後, 知人から勧められた丸山ワクチンによる治療を受けながら, 癌マーカー値(PSAb))が上がることを危惧していた. 筆者同士が知り合い, 癌談議をはじめた. 春ウコンを2004年7月から1日3gを飲み始めて数ヶ月後, マーカー値が安心できる数値で推移していることを確認した. この癌の特徴は, 摘出した前立腺を染色して初めて癌の存在が確認できるが, 癌の大きさと進行度は, もっぱらPSA値で判断している. 転の移癌も通常はPSA値で判断している.
2005年12月19日の検査で, 血中クレアチニン値と尿酸値がやや高い値を示していることに医師が気付き, 簡易な超音波診断をした. その結果, 腎臓に癌と思われる影が現れていることがわかったので, 翌週には更に高性能の超音波診断装置で再検査することになった. この結果次第では手術を考えなくてはならない状況となった. PSA値は上がっていないので, 前立腺癌の転移癌ではなく, 新たな癌と考えられた. 癌専門病院での最高レベルの医師による診断結果なので, 手術を覚悟した.
そこで, 春ウコン粉末の摂取量を1日3gから5gに増量して再検査に備えることにした. ところが翌週の検査の前日に鉄道の大事故が起こり, 山形から東京へ受診に向かう交通手段がなくなってしまった. そこで, 再検査は延期となり, 年末年始を避けた1月15日過ぎとなった. 増量摂取期間が約30日間となった年明けの再検査は, 手術前に行う高性能超音波診断装置を使った精度の高い検査であった. しかし, 12月の簡易検査で出ていた腎臓の影が消失しているのをみて, 技師を変えて検査を2回繰り返した. 診察に当たった医師は検査結果を見比べて首を傾げるだけで, 「帰って宜しい」ということになった. そしてクレアチニン値と尿酸値は正常値範囲の上限に戻っていた.
春ウコンの注意書きには[1日に3g]と摂取量を制限している. しかし, 筆者Iの癌を抑えるには, ある程度の増量摂取が必須のようだった. そして, この癌は初期だったので短期間で消失したのであろう.
なお, 前立腺全摘出手術は2003年8月に行われた. 検査を受けてPSA値21.0となっていたのでバイオプシ検査を受け, 癌と判定された. 手術に備えてホルモン療法に入り, PSA値は1.00となって手術に臨んだ. 以降のPSA値は, 当時の分析技術の限界値が[0.03以下]であったので, 測定限界以下となっていた. その後, 技術が上がった時点で0.009と確定し, その後の増加はわずかであり, 2007年1月の検査値は0.018, 7月が0.027, 2008年1月は0.028であった. 2009年1月には, ほぼ治癒の診断となり, 1年1回の定期検査になった.
図3 前立腺癌のPSA値の経過(全摘, 春ウコン)
なお, PSA(前立腺特異抗原)値については用語説明b)に説明した. 前立腺癌を正確に示すか否かについて, 集団検診への採用をめぐって専門家の評価は分かれている. PSA値の絶対値で癌の有無を論議することの妥当性に疑問があるようだが, 数値の変化傾向(勾配の大きさ)で癌の可能性を予測できそうである. また, 前立腺を切除した場合, 転移癌を判断するPSA値の基準値を0.3ng/dlとしている病院もある.
(10) 前立腺癌(2) スポーツクラブの仲間J氏(1939年生, 男性, 85kg)
J氏は2005年11月に前立腺の検査を受け, 前立腺癌Cランク(Dが末期)と診断された. PSA値は29.5であった. 翌年1月より春ウコンの摂取を始めながら再検査したところ, PSA値は31.0となり, 医師はこの時点で「手術は不可避」と考えていたようである. 2月22日から春ウコン粉末の大量服用(1日5g)を開始した. しかし, 3月11日から前立腺癌に対して薬剤投与(ホルモン療法)による治療が始まったので, 春ウコンは継続して併用しているが, 解析できなくなった. このケースは除外すべき例と考える.
4月3日の検査結果ではPSA値は7.5となった. 手術を見送りながら経過観察をすることとなり, 同時に水泳再開の許可も出た. 5月1日, 5月29日にはPSA値が1.8になった. 7月にはPSA値が0.1となったが, ホルモン療法中であり, 春ウコン摂取に触れなくなったので, 追跡を中断した. その後, 2007年後半に消化器系癌の手術, 前立腺の放射線治療を受けたと聞いた.
(11) 前立腺癌(3) K氏(後出N氏(14)の兄)(1932年生, 男性, 70→60kg)
排尿の調子が思わしくなく, 2003年5月にT大付属病院で調べるとPSA値が5を越え, 前立腺癌の疑いがあると言われた. ところが, 丁度この時に糖尿病がかなり悪い状況にあることに気付き(参照:1.3(3)), 春ウコンを摂取し始め, 専ら糖尿病に関心が奪われていた. そして, はじめに疑いがもたれた前立腺癌はすっかり忘れてしまった.
糖尿病が良くなってしばらくは, 春ウコンをしっかり摂っていた. 癌を疑われた排尿障害も糖尿病と同時に消えた. しかし, 2年が経ち, 春ウコンの摂り方が段々と疎かになっていったようである. 2006年になり, 排尿の調子が再び余りよくなくなったので, 定期的に脳梗塞を診て貰っている神経内科の医師にこの訴えをすると, PSA値を測定してくれた.
8月2日のPSA値が18.8と言われて驚き, 慌てて春ウコンの摂取を再開した. 9月13日が23.0となり, 思ったほど下がらなかったので飲み方を聞くと朝晩に2.5gずつ飲んでいるということだった. そこで, オプティマムの知見を取り入れて10月10日から1日6gを4~5分割して数時間毎に均して飲むように切換えた. 10月20日には32.3と言われ, 予想外の悪化であった. 更にこの春ウコン摂取法を続けたところ, 3ヶ月後の11月に入り排尿障害は低下した. 11月17日にはPSA値は27.0, 12月には26.9となった. 大きな改善が見られないが, 医師は様子を見ると判断した.それから半年の間経過をみていた医師は, PSA値が増加せず, 時として低下する状況を見て, 「癌ではないかもしれない」と診断した. 2006年8月以後の1年間のPSA値の変化は図4のようになり, 医師は「前立腺癌の疑いはほぼ消えた」と判断した. その後2年間のPSA値は30~40の間で推移し, 2009年10月には28.3となっている. 担当医は癌を全く話題にしなくなった.
このケースを後から整理してみると, 次のように考えられる.
①はじめに前立腺癌に疑いが持たれた時には, 大事とは考えなかったようである. 免疫低下で, 糖尿病も同時に悪くなっていたのだろう(2003年6月).
②眠り続けるようになり, 検査をすると糖尿病が大変な状況になっていたので, このことだけで頭が一杯になった. そこで春ウコンの摂取を始めたところ, 3ヶ月で糖尿病が劇的に良くなった. しかも, 脳梗塞の麻痺で出なくなっていた言葉が出るようになるなど, 考えられないようなことが次々と起こり, 前立腺癌の疑いがあったことは全く忘れられた. 検査はしていないが, 排尿障害の自覚症状も消えたので, 前立腺癌も同時に良くなっていたのだろう. この時点で気にしていたのは, 糖尿病だけだった.
図4 前立腺癌PSA値の経過(手術なし, 春ウコン)
③糖尿病は全く問題がなくなったので治ったと思って安心し, 春ウコンの摂取も疎かになった (血糖値:110前後, ヘモグロビンA1c:5.8, 正常値は巻末の用語説明を参照). 再び排尿障害が出たので検査を受けるとPSA値が高くなっていた(2006年6月). 糖尿病が悪化するのには2年以上かかるが, 前立腺癌の悪化速度は速かったと推測できる. 多分, 糖尿病だけ気をつけていた約2年間, 春ウコン摂取の仕方が癌には不十分になったための悪化であろう.
糖尿病と前立腺癌では悪化速度が大きく違い, また, 前立腺癌の治癒速度と悪化速度は, 他の臓器の癌と大きな違いがあることがわかった. PSA値がここまで悪化していることに気が付かなかったのは, 時々飲んでいた春ウコンで体調が比較的良かったことと, 糖尿病と脳梗塞だけに気を奪われ, 前立腺癌検査を全く受けなくなっていたからだろう. また, [糖尿病は直ぐに悪くはならないが, 癌はこれより速く悪くなる]ことは, 多くの情報をまとめてみて初めてわかってきたことである.
④2006年にPSA値が18.8(8月2日)→23.0(9月13日)→32.5(10月25日)と急上昇したときには癌と言えそうである. これ以後, 春ウコンを適正量摂取して, PSA値は上下動を始めた. 癌状態ではなくなってもPSAが漏出し続けるのは, その細胞が壊れたままの状態と推測している. 癌の部位が新陳代謝をあまりしない間質細胞u)だった, と考えると説明がつく.
⑤35前後で推移していたPSA値は, 2年後の2009年10月には28.3となっている. 壊れた細胞が, 新陳代謝によって徐々に修復しているようである.
(12) 前立腺癌(4)L氏(1937年生, 男性, 80kg)
L氏から, 次のような経過説明を受けた. 【ⓐ2003年春, バイオプシ検査により前立腺癌と診断された. 諸々の検査を終えて2003年10月に内視鏡による前立腺の摘出手術を受けた. 摘出した前立腺を検査した結果, 2ヶ所の口から癌細胞が出ていることが確認された. 手術前のPSA値は12あったが, 術後は0.00となった. ⓑ2004年夏からPSA値が上がり始め, 2005年1月には0.03の値となり, 急なカーブであるため2005年2月から3月にかけて, 放射線照射を直腸から膀胱にかけて体積6×7×8cmの大きさで行った. この時の後遺症に3
図5 前立腺癌PSA値の経過(全摘手術, 放射線, ホルモン, 春ウコン)
年を経過しても悩まされている. 2005年4月のPSA値は0.001に下がり2006年春までは0.010の静かなカーブで上昇していた. ⓒ2007年4月のPSA値は0.256に上昇し, 主治医は0.300を超える時にはホルモン療法に入ると決めていた. この5月にL氏と部活動を共にした高校同期生が, 同じ前立腺癌で亡くなった. 亡くなる前, SCセンターに何回か見舞い, 壮絶な苦しみとの闘いの果てに息を引き取ったのを見て, 同じ病をもつ身として「あの苦しみを回避する術はないものか」と思案していた.
同期生の通夜の出席者から筆者らの春ウコンのことを聞き, 摂取し始めた. 5月16日のPSA値は0.187に下がり, 9月15日の検査値は0.270と再度上昇した. 主治医は「10月末の検査値を見てから」と言い始め, 様子見となった.
これは, 前述K氏のT大付属病院の結果と似ている. L氏の場合はPSA値が上下を始め1年経過したのを見て, T大付属病院の主治医は, 「癌とは言えなくなった」と言うような状況になっている.
2007年, 2008年の経過は図5の通りである. L氏は2007年10月20日以後, 何かの思い違いで摂取量を3g/日と減らしてしまった. 2008年1月にホルモン療法h)を始めたことを筆者に連絡してきたので状況を聞くと, 摂取量が半減以下となっていたので8g/日(80錠/日, 3分割)に戻した. 2月16日と3月15日のPSA値はホルモン療法と春ウコン効果が混ざっていて解析はできないが, 4月13日より1日に数分割以上して摂取することにした.
(13) 前立腺癌(5)XL氏(1917年生, 男性, 80kg)
2009年3月6日に近所の病院で検査を受けたところ, PSA値が2821と桁外れに大きな数字であった. PSA値は5前後で前立腺癌を心配し, 100を超えるとかなり進行している場合が多く, 1000を超えると末期といわれている. すぐにN病院で骨シンチグラフィーを調べたところ, 「一部を除いてほぼ全身の骨が転移癌で癌化していて真っ黒」と担当医から言われた. 股関節の痛みが強く, 杖をついてやっと歩いている状態だった. また, 脛などの骨も痛がっていた.
XL氏の孫が, 筆者Iに相談に来た. 春ウコンをすぐに手配し, 3月10日から摂取し始めた(30錠/日3分割). 2週間もしない内に股関節の痛みが止まり, 杖なしで歩き始めたので家族は驚いたと言う. 「もう, 何もしないで死なせてあげなさい. 自分も何時死んでもいい」と言っていた祖母も, この急激な改善を見て, 「自分も飲む」と言って春ウコンを摂りだしたほどの驚きようであった. 4月2日に検査を受けると, PSA値は691に落ちていた. ホルモン治療も予定されていたが, 副作用も強いので5月まで延期となった.
4月3日から足の痛みが止まった. 痛みが強かったのでモルヒネを使っていたが, 痛みが減ったのでモルヒネ量も半量に減った. 4月8日には, 家族の制止にも関らず, 自転車に乗って畑仕事に出かけ, その後も元気な状態が続いた.
前立腺癌(3)のK氏の例では, 癌の状態でなくなってもPSAは流れ続けている. 前立腺は新陳代謝が起こらない腺房細胞が多いと言えそうである. 一方, XL氏の例では, PSA値が大きく下がった. これは新陳代謝により細胞が修復したと推測できるので, 転移した骨の細胞は上皮細胞が主といえそうである. 骨シンチグラフィーの再検査してみると, 状況がはっきりつかめるだろうが, 頑固なXL氏は病院に行きたがらなくなり, 再検査はしていない.
そのうえ, 「こんな苦いものは飲めない」と言って, 6月23日から春ウコン摂取をやめてしまった. 筆者らからは「3ヶ月位して再発すれば骨が痛くなる. そうすれば春ウコンの摂取再開となるだろうが, そのときに間に合うかはわからない. 継続するほうが良いが」と伝えたが, 頑固に拒否された.
9月24日に足の痛みが再発した. 3日間我慢したが, 9月27日夜から春ウコン摂取を再開し, 28日に医師の検査を受けに出かけた. 癌マーカー値AFPが通常の10倍以上あり, PSA値は2145に跳ね上がっていて, 骨の癌と診断された. 予想通りの再発であったので, すぐに春ウコン摂取を勧めたが, 大変頑固なXL氏は「苦い」と言って春ウコンは摂らず, モルヒネを選択した. しかし, 痛さに耐え切れず, じきに春ウコン摂取を再開したところ, 痛みは簡単におさまった. 12月21日のPSA値を病院から聞くことができなかった. 前立腺癌でも3ヶ月程度で再発と回復を往復した.
92歳でも春ウコンは効いた. 年齢に関係なく効果が出ることがわかった. また, 1日3gで効果が出た. この年層では, 免疫賦活対象に対して, この量でも十分量であることを示している. 高齢化で小さくなった胸腺が免疫賦活対象であるとすると, 3gが十分量といえる. 高齢者と壮年の必要量の差異を示唆している, と言えそうである(前立腺癌(1),(3),(5)を比較).
(14) 肝臓癌(1) 元上司M'氏の母(1904年生, 女性, 45kg)
M'氏の母(当時85歳)は, T大付属病院の医師から余命半年と言われた末期の肝臓癌だった. 制癌剤を投与されたが, 効果が認められなかったうえに副作用で苦しんでいたので, 制癌剤治療は中止となった. 筆者Aとともに, 1989年12月下旬から生の春ウコンを1日30g3回に分けて服用し始めた.
翌年の2月下旬の検査では, 医師から「数ヶ月以上前に投与した制癌剤が効いてきたので退院できる状況に近づいた」と言われ, 3月中旬に退院した. しかし, M'氏とは「今まで何クールか投与して効果のなかった制癌剤が, 数ヶ月以上のタイムラグを経て効果が出始めたとは考えられない. 肝臓癌が治り退院できたのは, 春ウコンの効果以外には考えられない」との点で意見が一致した. 癌を完治させることはむずかしいと思っていたので継続摂取を勧めたところ, その後7~8年間以上は健在だった. 以後, 筆者が会社を離れ連絡が取れていないので, その後の状況は不明である. 癌がはっきり治まった最初の例である.
(15) 肝臓癌(2) 親戚の内科医師(専門は肝臓)N氏(1937年生, 男性, 65kg)
N氏が末期の肝臓癌と診断されたのは, 1996年12月中旬である. その秋頃から背中に多少の痛みがあり, H大付属病院で検査を受けた. その検査結果が自分の専門分野の末期癌だったので, N氏と兄の内科医K氏(専門は胃腸科)との間には交わす言葉もなかったそうである. 中規模の個人病院の院長として内科全般を診ながら, 専門の肝臓には感染症も多いので注意をしていた. それまで肝硬変もなかったところへの末期肝臓癌の診断結果に, 衝撃は大きかったという. 残された時間も少なく治療手段はないと聞き, 肝臓癌(1)のケースと同様の方法を勧めた.
H大付属病院に入院中のN氏は1997年1月7日から生の春ウコンを摂取し始め, 3月末日には治癒したと診断され, 退院できるほどに体調が回復した. N氏の専門知識では, 末期肝臓癌からの回復などあり得ないことである. 春ウコンは兄に言われる通りに飲んではいた. しかし, 春ウコンで黄疸症状や背中の痛みから解放されたのではなく, 自力で回復できたと思ったようである.
「癌は治まっているが, 完全に治癒した訳ではない」と伝えてもらい, 春ウコンの服用の継続を勧めた. しかし, N氏は肝臓の専門医としての常識から, 自分は癌ではなかったと考え, H大付属病院の末期の肝臓癌という検査結果をむしろ[誤診]と判断したようである. そのような判断からすれば当然のことではあるが, 春ウコンの摂取を継続しなかった.
退院を喜んだ家族は, 毎週のように週末を温泉で一緒に過す生活をしていたが, 退院3ヶ月後の6月18日に急逝した. N氏の見解を優先する家族からは「肝臓癌ではなく, 動脈瘤破裂で亡くなった」と伝えてきた. もともと肝硬変もなかったというので, 動脈瘤破裂は肝臓癌が再発して急変した結果と推測している.
間接的ではあったが, N氏へ春ウコンの継続摂取を十分に説明して貰ったと思っていた. しかし, 肝臓について多くを学び, 多くの症例を診てきた専門家から見れば, 春ウコンは考慮の外にある物であり, また, プロであれば[末期の肝臓癌を抑えるものなどあり得ない. 自分は癌ではなかった]と考えるのが一般的なのであろう. プロの常識外のことが起きたのである. しかし, 意図が十分に伝わらず, 極めて残念な結末となった.
末期肝臓癌が, 春ウコン摂取を開始して治癒と診断されて退院するまでは約80日, 摂取中止により悪化して亡くなるまでは90日であった.
(16) 肝臓癌(3) と6疾患併発(C型肝炎,糖尿病,高血圧,うつ病,血小板減少)
〔C型肝炎(感染12歳頃), 糖尿病(発病50歳), 肝臓癌(発症57歳), 1949年生, 男性, 体重54kg(かつての体重は65kg)〕
O氏は中学1年の時に盲腸炎となり, 手遅れで破裂して腹膜炎を起こし3ヶ月間入院した. この時に輸血を受け, C型肝炎に感染したと同氏は考えている. 肝臓癌が2005年12月30日にNH病院で見つかり, 専門医のいるMN病院を紹介された. 抗体だけでなく, C型肝炎ウイルスが見つかり, ウイルス検査を継続した. MN病院で肝臓癌の権威である担当医から, 手術を2年間に4回受けた.
表3 肝臓癌手術の時期と癌の大きさおよび手術方法
イ) へその横から約500mlの水を入れ, 肺と肝臓を分離して手術をしたが, 激痛で中断して
カテーテルによるラジオ波治療法に切り替えた. 以後は, カテーテル法となった.
2006年12月, 肝臓癌の手術後にインターフェロン治療(錠剤リバビリン)をしたことがある. 1ヶ月間に4回投与したが効果もなく, また, 血小板減少と診断されたので, この治療は中止となった. 血小板減少はその時までに指摘されたことがなく, インターフェロン治療後のC型肝炎検査で初めて言われたことである. 医師はインターフェロン治療を2007年10月から再開した. なお, O氏のインターフェロンの副作用は, ひどい風邪を引いた状況に近く, 投与して直ぐに寒気が始まり, 数時間後に強い関節痛となるという.
春ウコンは2年前に少々摂ったこCENTER:とがあるが続かなかった. 2007年末になって筆者らの話を聞いて, 12月20日から春ウコンを摂り始め, 28日に本格的に再開した(50錠/日, 10錠/回×5回等間隔).
先ず糖尿病で大きな変化が出た. 2008年1月11日に糖尿病の検診を受けに行った. インスリンを食事ごとに9~10単位打つような治療を既に始めていた. 「低血糖が怖いので, 血糖値をよく測りながらインスリン量を決めて欲しい. もちろん, 医者と相談しながら」と伝えておいた. 春ウコン開始22日後の検査ではヘモグロビンA1cは8.4から7.4に下がり, 1月中旬以後の血糖値は, 朝(空腹時血糖値)は高いことがあるが, 夕方は50台のことも出てきて, 大きく下がっていることがわかった. 医師は低血糖の危険があると感じて, インスリン量低減の検討を始めた. この段階で, 春ウコンはO氏の免疫系に有効に作用しており, また, 自力のインスリン分泌能力はそれほど退化していないことがわかった.
次に肝機能に変化が出てきた. AFT(GOT)値は270から95となった. インターフェロン投与を1月中旬に予定していたが, 血糖値が低血糖を心配するほど下がってきて春ウコンの効果が確認できたので, 今まで効果があったとは実感できていない投与を一回パスすることにした. 糖尿,肝臓,C型肝炎が全て良くなっている可能性があるので, 1月21日の肝臓検査を待つことにした.
表4 肝臓癌患者が併発している6疾患の推移(2007年)12月~2008年3月)
イ)ヘモグロビンA1c値
ロ)血糖値が50~80に下がることが出始め, インスリンの調整を開始
ハ)以前は努力しても増加しなかったが, 2ヶ月で2kg増はこの3年で初体験
1月21日の肝臓検査は, この2年間の検査で初めて肝臓に癌は発見されず, 5回目の手術を避けることができた. 医者は直ぐに「インターフェロンが効いている」と言って, 注射(スミフェロン)をしたので, 再び強い副作用に苦しむことになった. 1月29日になって, 医師からは, 「インターフェロンの効果があったので, 来週から2倍にしたい」と言われた. 2006年に効果が無かったので, 今回, 効果が出るとは考え難く, 春ウコンが効果を出したと考えた方が理にかなうと思えた. また, 血小板が低下している上に, インターフェロンを2倍にして免疫低下をさせることは, 肝臓癌を加速するとの疑問を感じたO氏は, 春ウコンだけでしばらく様子を見ると決断した.
体調は良かったが, 5月になると医師から静脈瘤があるので手術による処置をしたいと言われた. また, その後に肝臓の状況も見たいので, T医科歯科大学病院に移して一連のことを実施することになった. 特段の自覚症状もなかったのでO氏は逡巡したが, 7月になって医師の勧めに従った.
詳細の事情は不明であるが, 静脈瘤の手術をした直後から肝臓癌が急速に大きくなり始めたと言う. 手術後僅か2ヶ月の10月3日に亡くなった.
(17) 肝臓癌(4) P氏(1935年生, 男性, 体重95kg)
FN病院で2008年1月30日に診察をうけ, 「肝臓に20mmと40mmの癌が見つかった. 一つの癌は胆管を圧迫していて胆管が詰まっている. 手術は不可能. ラジオ波療法は不可」と診断された. 余命は6ヶ月と宣告され, また, 「制癌剤治療を受けて3ヶ月間寿命を延ばすことは可能だ」とも言われた. 身も蓋もない話であるが, 「インフォームド・コンセント」の時代であり, 現在の医療の常識では致し方のないことである. FN病院を紹介した近所の先生に報告をしたところ, 「入院して制癌剤治療を受けなければ6+2=8ヶ月は生きられる」と言ったという.
医者によって意見は異なるが, 現在の医療技術では6~8ヶ月の寿命と悟り,春ウコンの摂取を2月1日より始めた(7g/日, 5分割, 等間隔摂取). 2月6日に再検査を受けた結果, 現状は「原発性胆管細胞癌, あるいは, 肝細胞癌. リンパ節転移なし. 肝臓に胆汁が溜まり手術は不可なので管で抜くしかない. 黄疸が出たら危険な状態. 50mm位の癌が単発. 血管と小葉膜に浸潤なし. 高分化型かどうか判定不可」と言われた.
1月30日の結果と異なるが, 春ウコン6日間の摂取で病巣が動いたと見た方がよさそうで, [20mmの癌が消えてしまい, 40mmの癌が50mm以上に大きくなった後に50mmまで縮小した]と考えた. 担当医から言われた残された治療法は, 「肝動脈化学塞栓療法をした後に全身化学療法. 手術不可」であった. 「造影剤の流れは良好」と医者から言われたが, 春ウコンによる血液粘度低下作用によるものと考えた.
セカンドオピニオンを求めて東松山の病院へ行くと, 「ボヤボヤしている場合ではない. 直ぐ死にますよ. 連係しているSKセンターなら手術ができる」と, 意見を言う間もなく回され, 2月27日に検査した後, 3月4日に手術となった. 手術前に「手術が1時間で終われば失敗, 6時間かかれば成功, と思って下さい」と言われ, 「うちなら手術ができる」と言って回されながら酷な宣告を受けた.
術後のP氏の第1報が知人から3月13日に入り, 「1時間の手術ではなかったが, 体重が浮腫で10kg増加し, 食欲も無く, 歩行も大変」と伝えてきた. 術後2週間後に亡くなった. 春ウコン短期間摂取例であるこのケースは, 除外すべき例と考えるが, 肝臓癌(4)の手術と共に多くを考えさせられた.
(18) 胃癌・食道癌全摘後の転移 知人の父親Q氏(1916年生?, 男性, 60kg)
Q氏は胃癌と食道癌を全摘する大手術をした約1年後に, 胃と食道の代替として引き上げていた腸の部位に癌が転移し, これが悪化した. S医大病院で余命3ヶ月と宣告され, 病院の勧めに従って自宅に戻ったのは1996年の初めだった. 同年2月から生の春ウコン1日30g量を3分割して摂取したところ, 3ヶ月で完治と診断されるに至った.
全摘が大手術であり, その上老齢だったために体力回復に1年以上かかったが, 1年半経過して体重が増量し始めると共に本人の我儘も強くなったようであった. 体力が回復してしばらくすると, 「こんな苦いものはもう飲めない」と生の春ウコンを拒絶された. 残念なことに, 摂取を中止してから3ヶ月後に急逝してしまった. 胃癌・食道癌からの転移癌では, 治癒するのも悪化するのも, 約3ヶ月であった.
(19) 胃癌 元経営者Rさん(1930年生, 女性, 50kg)
Rさんが家の中でフラフラしてつまずいたり階段を踏み外したりするのを, 家族は加齢現象だと考えていたところ, 「胃か心臓のあたりが痛い」と言い出したので, 近所の医者を訪ねた. そこでは「貧血状態がひどいので大きな病院で精密検査を受けるように」と勧められ, 2006年7月15日に検査のためにKIセンターに出かけた. 検査の結果, 胃癌が見つかり, その場で手術の日程が組まれ8月9日と決まった.
家族は, 前記(4)の件を身近で起きたこととして良く覚えていた. 春ウコンについてはその時の知識もあり, その効果を期待した. 検査の当日に「母に進行の早い胃癌が見つかった. 末期ではないと言うが, 20日後に手術と決まった. 春ウコンは胃癌にも効くのか」という問い合わせが来た. 前記(17)の話をしながら「転移癌ではあるが, 胃癌に効いた. 色々な固形癌に効いている. 手術を邪魔することは無さそうなので, 5g/日を4回以上に分けて摂取すると良いと思う」と資料を使って説明をした. 家族が入院中の患者と話をしたところ, 本人の希望も強かったので直ぐに錠剤を飲み始めた.
手術までに時間がなく, 検査直後に, 術前のコンディショニングのために入院することになった. 貧血症状がひどく, 家族の介添え無しには入院できない状況であったが, 医師の許可を得て春ウコンの摂取を続けたところ, 1週間後の退院までに貧血が大きく改善し, 退院時には家族の助けを借りずに自力で歩行できるまでに回復した. 貧血症状の改善は, 癌の縮小に伴う出血の減少を示唆していると考えた.
家族へは「貧血が回復したことは, 癌による出血が治まり始めたためだろう. 貧血の改善状況からみると, 手術直前には癌が小さくなっているだろうから, 直前の検査次第では, 手術を見送り, 暫く様子を見ることできるようになるだろう. 手術は体にとって大きなストレスであり, 免疫を下げるので避けたい. 多分, 手術を回避できるのではないか」と話をした. 医師は「切ってみないとわからないが, 胃を全摘する可能性もある」と言って, 直前の検査はせずに予定通りに手術を行った.
医師からの手術後の説明は, 患者本人へは「癌は中央に集まっていて, 癌を取り易かった」, 家族へは「胃癌は胃袋の外壁まで抜ける程, 大きくなっていた. しかし, 全摘はしなくて済んだ. 転移した癌が多数見られるが, 活性化はしていない. 術後の制癌剤治療を勧めたい」ということだった.
術後に制癌剤治療を勧められた患者本人は, 制癌剤の副作用の知識があり, また, 前記(4)のケースで[快方に向かいながら制癌剤(シスプラチン)治療をしたために25日後に急逝した]ことを良く知っていたので制癌剤を辞退した. 手術後, 食事の再開と同時に春ウコンを再開した. 医師から「高齢にもかかわらず, 手術後の経過は驚くほど順調な回復」と言われ, 手術の2ヶ月後にはアジア旅行へ出掛けることができるまでに元気になった.
その後, 患者についての連絡がなくなったが, 摂り方の要点を書いた書類を渡しておいたので, しっかり春ウコンを摂っていてくれていると思っていた. ところが7ヶ月後に訃報が届いた. 後から家族の話を聞くと, 「春ウコンは本人任せだったので, しっかり摂れていたかどうか良く分からない. 最後の何ヶ月は入退院を繰り返していて, 医師は腸閉塞を心配して口からの食べ物を極端に制限していた」とのことだった. このケースは, 当初の3ヶ月は春ウコンが極めて有効であったが, その後は[再発,転移,アジュバント療法などの有無]の報告がなく, 不明な点が多いので除外すべきかと考えた. しかし, 不明は不明として記載することにした. 末期癌でない3例目である.
(20)消化管膜間質性腫瘍 クラブの後輩の父親S氏(1937年生, 70歳, 40kg)
S氏は消化器の表皮にできる特殊な癌[消化管膜間質性腫瘍](略称GIST)が胃の表皮にできたと診断され, T医科大病院で知人の専門医の手術を受けて胃を全摘した. その2年後, 大腸の表皮に転移癌が再発したので再手術のため開腹をしたが, 手を付けることができないほど癌が進んでいた. その際の医療ミスで大腸がバイパスとなり縫合されただけだったので, 不信感からT病院に2003年に移った.
T病院の医師は当初GISTを知らず, 家族と何回か衝突しながら熱心に勉強し, 「イレッサ(ゲフィチニブ)を改良した新薬グリベック(イマチニブ,分子標的薬)を自宅で使うように」との指示を出した. 自宅療養中にこの副作用に悩まされ, 医師に言われた量の半量をやっとの思いで飲んでいた. 「父が死にそう」との話を聞いた筆者Aの勧めで, 春ウコンを2006年7月末から飲み始めた. 体重が40kgほどまで減量していたので春ウコン粉末の服用量を1日4gとしていたが, これを摂り始めるとグリベックによる副作用が消えた.
1ヶ月ほど経つと, 胃を中心として調子が良くなってきたのでグリベック摂取をやめて春ウコン摂取だけにした. 40日後の検査結果では「癌は大きくなっていない」ということであった. 春ウコンを続けた4ヶ月後には体調も回復し, CT検査では癌がなくなっていた. 末期癌GISTに大きな変化がでたことになる. しかし, 医者は「癌は動くので, 見えない裏側に動いている可能性がある. 経過を見ていく」と患者に伝えた (2006年12月).
年を越し, 徐々に健康を取り戻し始めた. その後も春ウコンの摂取だけで健康状態は安定しており, 2007年2月と4月のCT検査でも癌が消えた状態は続いていた. この状況をみた医者から, 「グリベックが効いているので量を倍増したい」と言われた. 医者に診てもらうためにグリベックの購入は続けていたが, 全く摂っていない薬の増量を患者は辞退した. 5月に入り温泉旅行に行けるほどに体力も回復してきた.
以前の手術後は, 夏には体調を崩して一度は必ず入院していたが, 2007年夏の猛暑を何事もなく乗り切り, CT検査結果も特に問題なく, 食事も美味しいと感じて食べられるようになってきた. 大手術による後遺症があり, 体力回復にはもう一歩の観があったが, 3年半後の2010年に入って体重が増え始め他. 体重増加を[癌によるむくみか?]と心配したが, 2kgの体重増は本格的な体調回復の兆候のようである. 体力もついてきたので, 海外旅行を話題にするくらい意欲的になり, 順調に過ごしている. 癌の大手術からの回復には, 長期間の療養が必要となるようだ.
(21) 膵臓癌 クラブの先輩T氏(1940年生, 男性, 55kg)
癌談義を筆者とした中東駐在のT氏が, 北アフリカ駐在として大変なハードワークをしていた時期の1998年に膵臓癌となり, ヨーロッパで手術を受けた. その後, 筆者との1994年末の癌談義を思い出し, 日本に短期帰国をした1999年2月に春ウコンを依頼してきたので, 粉末製品を直ぐ渡したところ摂取を開始し, 帰任する時には駐在地にも大量に持ち帰り, 摂取を続けた.
北アフリカ時代の2年間はヨーロッパで定期検査を受けていたが, 春ウコンを続けながら特段の指摘もなく無事に過していた. 2001年8月, 元気で日本に帰国した後, 東京のNGセンターで診察を受けた. 2002年になり, 安心のために制癌剤の治療を受けたところ, 2002年3月末に急逝した. 膵臓癌手術後3年の延命は少ないと聞く. 春ウコンの効果と考えられそうである.
(22)乳癌 クラブの先輩の奥さん(Uさん)(1943年生, 女性, 50kg)
先輩の奥さん(Uさん)に乳癌が見つかり, 2001年3月にMセンターで手術を受けた. 転移を心配していた時に筆者の春ウコンの話を聞き, 同年6月から春ウコン粉末を1日約3g摂り続けた. 2006年4月に5年健診を受けたところ異常はどこにも見当たらず, 常用していた薬を全く摂る必要がなくなった. 薬から解放されたが, 安全を考えて春ウコンを摂り続けることとした. 春ウコンが極めて有効だった例と言うことはできないが, 再発している人も多いので, 抑えきっている例といえる. 体調も改善したので, 春ウコンを継続している.
(23) 子宮体癌 公的機関の職員Vさん(1970年生, 女性, 50kg)
Vさんは, 三十代の女性が受ける勤務先の定期検診の婦人科検診を, 横浜にある検査専門のクリニックで受けた. 内視鏡検査のなかで内膜掻抓による組織採取(バイオプシ)が必要と判断され, 生検による確定診断がされた. この通常のスクリーニング検査の判定結果は, [子宮体癌,ほぼ確実]となったので, 精密検査を受けるように指示があった.
この癌を調べると, [5年生存率は, 第1期:92%,第2期:83%,第3期:74%,第4期:0%]とあった. また, [検査の次のステップは, 癌の大きさ,位置,他臓器への影響を見るためのCT検査,MRI検査などを行うことが一般的である. 子宮体癌は子宮,卵巣,リンパ節などを摘出する手術療法が中心であり, 癌が第何期かは子宮を摘出してみないと正確にはわからない. 安全策を考えて摘出手術を勧められることが多いようである]となっていた.
勤務先が他の組織と合併する時期の激務のなかで, 過労がピークとなり, 湿疹が顔一面に出たのを始めとして, 腎臓も腫れるなどの全身に出た異常の一つが癌だったようだ. 「8歳の子供を残して死ぬことはできない」と思いながら, 「私は癌では死ねない」という強い思いと「癌で死ぬかもしれない」との不安の間で, 次の検査への決断をためらい, 考えあぐねていた.
ちょうどそのころ, 筆者AはVさんの体調が1年前に極めて悪かったことを聞いた. そこで, 春ウコンと癌,成人病の話を, 仲間内の集まりのときに, 例を挙げながら話した. この話を聞いたVさんは, 春ウコンの摂り方を教えてほしいと聞きに来た. Vさんは, 「生検で癌の疑い極めて大」と言われたことを伏していたので癌とは知らず, 「体重60kgの人は3~6g/日を3~4分割して摂取. 癌の場合は6g/日」という説明をし, 春ウコンを進呈した. 話を聞いた2006年8月20日から, 6g/日を飲み始めた.
摂取し始めて3日間は全身から毒素が抜けていくような震えに近い[異常]を感じたが, それでも「これは効いている」と感じて摂取し続けたという. この異常な感じも3日で消え, 40日後(9月29日)に内視鏡検査を再び受けた. 子宮体部の内視鏡検査で指摘された部分から癌が消失したためか, 「ほぼ確実」, と言われた癌への指摘事項は何もなくなった. この結果が出たので, 「消えました」と報告にきた. このとき, 子宮体癌から開放されたことを初めて聞いた. 「子宮体癌に効きますか」とはじめに聞かれていたら, 若い人であり, この癌の経験がなかったので, 春ウコンを勧めなかったかもしれない, と思った.
なお, この[異常]と感じた症状は, 漢方薬でいう[瞑眩(メンゲン)]だったようである. 春ウコンを摂った他の例で瞑眩と思われる症状が出たことはない. Vさんのように身体中にたくさんの疾患を抱えている時に, 全疾患がいっせいに修復に向かうので, このような瞑眩が現れることがあるのだろう.
子宮体癌は消えたが, 再発の可能性もあるので, 経過の検査を受けながら, しばらく春ウコン摂取を継続することを勧めた. Vさんに限らず, 春ウコンを摂取して癌の疑いが消えると, CT,バイオプシ検査で癌と宣告されて悩んだことを忘れてしまうようだ. [喉元過ぎれば熱さを忘れる]のことわざ通り, 程なくVさんは「自分は癌ではなかったのではないか」と言い始めて, 春ウコン摂取を止めてしまった. 2年半が経過した2008年8月になり[瞼が腫れ唇に炎症が起こる]という3年前の状況に近い症状が現れたので再発を心配したが, 春ウコンを再開したところ, 直に快方に向かった.
春ウコンで体調が良くなると, 癌に限らず「病気ではなかった」と思う人が多いようなので対応策が必要と感じている. 良くなっても, 当然, しばらくは定期的に医師の検査を受けていくことを勧めるが, 再発のメルクマールを考えておくことも, 今後は重要な課題になると考えている.
腎臓癌が25日で消失したのと同じようなことが, 子宮体癌でも起きた. 肺の末期癌では40日で寛解(快方に向かう)となり100日で消失となった. 「初期に近い癌は40日以内に消失して医師からの指摘事項はなくなる可能性がある」と言えそうである. 子宮体癌は, 50歳以降に発症する女性が多く, 糖尿病と高血圧の人に多く発症すると言われる. 増加傾向にある子宮体癌に, 明るい可能性が出てきたと考えている.
(24) 膀胱癌(1) Wさん(1947年生, 女性, 体重50kg)
2005年10月にWさんは腎盂腫瘍の手術を受けた. また, 2006年10月に膀胱癌を3ヶ所, 内視鏡手術で取った後, 1回/週, 膀胱へのBCG注入を6回続けた. 2007年12月に, WD氏から膀胱癌への効果について聞かれた. 初めてのケースなので, 「未経験ではあるが, 再発予防の意味でも春ウコンを摂ることを勧める」とWD氏に伝えた.
Wさんは, 膀胱癌についてかなり調べていて, 抑える方法がないと思っていた. 春ウコンの状況を聞くとすぐに(12月から), 春ウコン摂取(5g/日, 5分割)を始めた. 2008年2月末の腹部CTと膀胱内視鏡検査は, 無事に通過した. 2008年末の腹部CT検査, 胸部レントゲン検査,膀胱内視鏡検査,尿検査(細胞疹を含む)も無事にパスした. ほかの癌や再発の可能性もあるので, 毎回の検査は極度に緊張するようだが, 2010年現在までは, 順調に推移している. 癌を抑えたといえるような例ではないが, 再発がないことを喜んでいる.
なお, 2007年12月に春ウコンを始めると, シェーグレン症候群の軽い症状も消え, シェーグレン抗体が下がったと担当医から言われた.
(25) 膀胱癌(2) 知人のX氏(1944年生, 男性, 体重51kg)
2005年の年初に, X氏は, 排尿時にドロッとしたかなり濃い出血を初めて経験した. 飲酒後にひどくなることが分かり, 何回か出血したので2005年2月18日にC父市立病院でエコー検査を受け, 尿路上皮癌と診断された. 癌は3ランクの2番目, 根の深さは浅いと言われ, TUR-BT(内視鏡手術)を受けた.
その後は外来で定期的に検査を受け, 膀胱内に一部粘膜不整部があり, 尿の細胞検査で良性~悪性の境界との結果が出た. CT検査で表石性膀胱癌と診断され, 2006年6月20日に内視鏡による再手術となった. 電気メスによる粘膜不整部の肉切除と粘膜切除と止血を行い, 顕微鏡検査を行った. 病理組織診断名は尿路上皮癌であった. 直後にまた内視鏡検査と言われ, 再発を防ぐため結核菌(BCG)と抗癌剤の膀胱注入を薦められた. 立て続けの手術に億劫になった.
2008年秋になり出血がひどくなり, 体調が思わしくなかったので病院へ行った. 10月2日に入院し, 内視鏡手術により癌を取った. しかし, 根が深く, 膀胱壁の中の部分は, 内視鏡では取りきれなかった.
医師の説明は「①膀胱癌. ②細胞の質の悪さはグレードⅢ. ③根の深いタイプ(筋層浸潤, 深達度はpT2)のため内視鏡では取りきれない. ④明らかな転移はない. ⑤膀胱を全部とれば直る見込みがあるが命がけである. ⑥放射線治療や抗癌剤は疑問である. ⑦以前よりかなり進み, 進行が速い」イ)であった. 「膀胱は残せないか」との患者の質問に対して「今, 取らないと手遅れになり, 転移や浸潤が直ぐに始まる. 膀胱全摘に伴い, 前立腺も全摘し, 直腸の一部をとって代用膀胱を作る」ことを薦められた.
検査結果を聞いたX氏は「仕事をやめ, 玄米療法とヨガを始め, 生き方を変える」との決意を, 友人のWD氏に伝えた. WD氏から筆者A(Ⓐと略記)に相談があり, 10月13日から春ウコンを54錠/日ずつ摂りはじめ, 21日から60錠/日へ増量した. X氏は代用膀胱手術が可能な県立がんセンターへ廻され, 10月22日に膀胱鏡検査を受けた. 画面で見ながら「赤い部分が筋層に浸潤する癌だ」と説明された. 同時に撮ったレントゲン写真については何も言われなかった. ここの担当医も「①最も勧めたい治療法は, 膀胱の全摘手術である. 全摘手術をすれば治る見込みがある. ②次が温存療法となる. 抗癌剤と放射線の併用治療である. あまり期待はできない治療法であり, 40%の成功率である」と説明した.
X氏が温存療法を選択した場合の将来について聞くと, [最悪の場合にどういう状況になるかの話]を何回も繰り返し, 「結局は手術をすることになるが, 3ヶ月遅れたために, 癌が悪くなってもよいのか」と, 更に何回か念を押されたので, 圧迫感を感じたという.
Ⓐが10月24日にX氏と会ったとき, 顔色は冴えなかった. 今までの経過を聞き, 全摘について意見を求められた. X氏の約4年の経過を聞いていると, 「後期に近い癌なので切迫感はあるが, 多少は時間的な余裕がある」と思えた. 「一度, 機能を取ってしまうと再生はしない. 後遺症も大変なことがあるようだ.春ウコンを摂りながら3ヶ月間様子を見る余裕はないか」とX氏に聞いた. 獣医をしている娘さんは, 膀胱摘出手術を勧めている, とのことであった. そこで, 沖縄で使った資料に沿って春ウコンを使った癌の実例を説明し, 「決断するまでによく考えて」とだけ伝えた.
X氏は膀胱温存療法を選択した. 10月27日入院, 10月30日から11月28日まで, 抗癌剤治療[制癌剤のメソトキシレート(静脈)とシスプラチン(動脈→膀胱近傍)治療を2クール(1週間間隔, 静注の間は下痢が継続)]と[放射線20回(総線量40Gy, 土曜日曜を除く毎日)]を行った. 制癌剤治療中の11日間は春ウコンを中断させられた. この期間を除いて春ウコン摂取は続けた. 同室の癌患者が抗癌剤と放射線治療の副作用に悩まされていたのと違い, 副作用は殆どなく, 抗癌剤治療の翌日に食欲減退を感じた程度だった.
春ウコンを約65日摂取した後の2009年1月7~11日に, 一通りの検査を受けた. また, 内視鏡手術により細胞診検査を行い, 「死滅した癌細胞の下に癌があるかもしれない」などと言いながら, 怪しげな細胞と判断した場所を十数ヶ所以上サンプリングしたので, 検査後の出血が多量だった.
この細胞診検査結果が1月26日に判り, 癌は全く検出されなかった. 担当医からは「今は癌が消えている. しかし, また手術をやるようになる」と釘を刺された. そして, 「4月22日にCT検査と膀胱鏡検査をする. 内視鏡手術になるかもしれない」と, 3ヵ月後の予約が入れられた.
検査結果が判かり, 大変な喜びのなか, 「膀胱全摘以外に期待できる方法がないと言われたが, 癌が消えた. 期待できない方法で癌が消えたとは思えないので, 春ウコンの効果だ」と連絡してきた. この驚くような結果に家族も大いに喜んだという. Ⓐが2週間後に会うと, 顔色は3ヶ月前より大変良くなっていた. 今後については, 「春ウコンをしっかり摂取して, 様子を見ていきたい. 来週から仕事だ!」と大変な張り切りようだった.
その後, 4月上旬までの2ヶ月間にわたり, 排尿の際にカスのようなものが時々出た. 細胞診検査によってできた傷に関連した蛋白質かと思っているが, 頻尿気味だった排尿も正常に近づいた.
5月になって病院に行くと, 「膀胱の周りのリンパ節が腫れているので制癌剤治療をしたい. 前回は濃度の薄い制癌剤治療だったが, 今回は濃度の濃い制癌剤治療になる」と担当医から言われた. 癌がないのにリンパ節が腫れているとは不可思議なことと感じた. また, 全摘手術を勧められて温存療法を選択したときに, 効果が少ない薄い制癌剤を使った治療をしたことになる. 手術後に初めて聞いたこの説明は, 理解しにくい話だったので, 判断を保留した.
また, NZ氏と殆ど同時期に, 同じ病院で膀胱癌の全摘手術を勧められた同年層の患者が4人いた. そのうちの2人が全摘手術を受け, 2人が温存療法を選択した. 1月15日に一緒に退院した直後, 4人のなかで一番元気だった全摘手術を受けた患者(67歳)の肺に, 転移癌が見つかった. すぐに再入院となり, 制癌剤治療を受けた. その後, 頭痛がするので検査を受けたところ脳腫瘍が見つかり, 2月19日に再入院となった. すぐに放射線治療を受けたが, 3月3日に亡くなったという. 手術後4ヶ月のことである.
NZ氏が全摘を選択して同様の経過をたどったとは言えないが, しっかりしていた同室者でも, 全摘手術による身体への負担は大きかったようだ. 同室の他の患者3人より遥かに元気な人だっただけに, 結果の差の大きさに寒気のする思いがしたという.
4月になり, もう1人の全摘患者にも肺癌が見つかった. 経過が気になっていたが, 5月を待たずに亡くなったという. 結果的には, 全摘手術をしなかった2人だけが残ったことになる. 温存療法を採ったもう1人は, 制癌剤治療を続けているが, 前立腺癌と診断されホルモン療法に入ったと聞いた. 6月に入りX氏の体調は極めて順調なので, 勧められた制癌剤治療をしばらく見送ることにした. 9月2日に首から下のCT検査を受けた. 担当医からは「どこにも癌はなく, きれいだ」と言われた. 前年の放射線治療で左足付根のリンパ管に後遺症が残った. そのため, 仕事をすると膝から下の浮腫みがでつらい思いをするが, それ以外の後遺症はなく, 一応,癌から開放された.
同室者が次々と亡くなる状況は, B氏(参照:1.1.2(1)直腸癌(2))のときと似た様相である. B氏は, 春ウコンを始めて12年になる現在, 普通の生活をしている. X氏にもB氏のようになることを期待したが,始めは筋肉痛ではないかと感じていた症状が6月にリンパ浮腫と診断されたので,骨髄抑制による懸念もあると考えた.9月に癌はないと診断されたがリンパ浮腫のための制癌剤治療に入り,これが2010年3月初旬まで続いた. しかも, X氏は延命が始まったばかりのときに, [一汁一菜, 仙人のような生活をせよ]とか[癌は動物性蛋白質を摂ると悪くなる]などと勧めた人の言に従っているので, 先行きは不透明である. 栄養不足では, 身体はもちろんのこと免疫系(造血機能)にも影響が出るので,難しさも出る可能性がある.健康食を摂るようにして, 元気を取り戻すことを期待している. 春ウコンは継続しているが,十分な態勢で進まないものである.
なお, X氏の父親も膀胱癌となり, 78歳で亡くなった. 家族に病状を隠していたので, 出血がひどくなって入院した時にはもはや手遅れとなり, 手術もできない状況だったという.
イ)診断書は「Urothelical carcinoma,G3,of the urinary,TUR,pT2」と記載
(26) 卵巣癌(1) 運動部後輩の仲間の親(女性, 78歳, 体重47kg, 1931年生)
2009年3月頃から, Y氏は食欲不振などの体調不良を訴えていた. 胃につかえた感じがあり, B医大でCT,MRI,内視鏡による検査を受けた. 理由は不明であるが検査直後から担当医師が不在であったため, 約2ヵ月後の5月上旬まで待たされた後, 胃腸を含め全て問題なし, 診療は終了との診断結果を言い渡され, 薬も処方されなかった. 5月下旬, 症状がさらに悪化したため自宅である埼玉県のF病院にかかったところ, 検査もせずに胃潰瘍と診断され薬の処方を受けた.
ところが, 6月に入り腹が膨れてきたので, 6月8日に同病院の別の医師に症状を伝え検査を依頼した. エコー(超音波診断)により, 腹水が溜まっていることが判明して即日入院となった. その後CT, MRI検査で左側卵巣に5~6cmの腫瘍があることが判明した. しかし, 同病院に婦人科が無かったため, 今後の対応は不可能ということで, 6月19日に都内S会中央病院に転院した. 内科でCT, MRI検査を受け, さらに6月24日にPET検査を受けた.
この結果を6月30日に担当内科医チームから「ⓐPET,CT,MRIなどの検査より, 左側卵巣に5~6cmの癌がある. ⓑPET検査により, 卵巣と腹膜が真っ黒であり, 腹水にも癌細胞がある. 肝臓, リンパ節にも黒いところがあり, 転移が疑われる所見である. ⓒ癌の進行度はStageⅣである. ⓓ点滴のみに栄養補給を頼っていたので体力もなく, 年齢を考えると直ちに手術はできない. ⓔ抗癌剤治療を始めたい」との説明を受けた.
第1回の制癌剤投与(タキソール+カルボプラチン:通称TJ法と略称)を7月2日に実施した. 副作用による激しい発作(アレルギー反応)が2回あり, 応急処置で発作を抑えた. 発作が治まってからは通常の食事が可能となったが, 味覚異常がひどく食事は余り進まず, 第2回制癌剤投与まで続いた. 副作用による指先の痺れは続き, 投与から3週間で頭髪はほぼ抜け落ちた. 7月25日に担当内科医に数値的な変化(腫瘍マーカーなど)はないかを質問したが, まだそのような段階ではないとの答だった.
筆者Aに友人を通して電話連絡があり, 7月29日から春ウコン粒摂取開始した. 1日6回3時間毎に摂取, 毎回6粒(3.6g/日)とした.
第2回の制癌剤投与(TJ法)を7月30日に実施した. 抗癌剤投与当日のみ, 春ウコンを中止した. 投与前に医師から, 「今回の副作用はひどくないでしょう」と言われたので, アレルギーの軽減措置があった可能性があるが, 詳細不明である. 数日食欲が衰える程度で, 1回目に比べて副作用は軽かった. 味覚異常は前回と同様にあり, 副作用による指先のしびれは続いていた. 8月6日に筆者Aは患者長男に経験を伝えた. 8月7日より春ウコンの量を1日6回摂取毎回8粒(0.8g)に増量した(4.8g/日). 8月8日より一時帰宅となり, 総合ビタミン剤(ポポンS)を朝2錠,夜1錠の摂取を開始した. 食欲は旺盛となり, 味覚異常はほとんど感じないようになった. 日常生活, 外出も問題がなくなったが, 副作用による指先の痺れは継続していた. 8月24日まで家で過ごし, その間, 14日に日帰りで血液検査, 担当医診察を受け, 20日にT大学付属病院婦人科A医師のところにセカンド-オピニオンを受けに行くと「ⓐ年齢, 癌の進行状況から見て現在行われている抗癌剤による治療は妥当である. ⓑ体力, 腫瘍の縮小状況によっては手術の可能性もあるが, 全て取り去るような大きな手術は体力的に無理であろう」との意見を言われた.
また, 8月21日に血液検査, 骨盤部MRIを実施する. 8月25日に制癌剤投与のための再入院時に担当医より, 8月21日の結果について「骨盤部分のMRI画像では腫瘍が小さくなっているようだ. また, 腫瘍マーカーの値も下がって来ているので, 制癌剤がよく効いているようだ手術できる可能性が出てきたため, 外科医と相談する」と説明があった.
制癌剤投与の予定を変更し, 8月27日に手術の可能性を検討するため婦人科の医師による初めての診察があった. 8月21日時点の骨盤部MRI画像を見て,
「ⓐ本当に卵巣癌があったのかは, MRI画像ではよく分からない. ⓑCTなどで転移の状況も見たほうがよい. ⓒ婦人科ではへそから上の手術は対応できない. ⓓ制癌剤は大変良く効いているようなので続行したほうが良いと内科から言われた」, との所見を言われた.
制癌剤については, 一部の癌を除いて[抗ガン剤治療によってガンが治癒する可能性は極めて小さい(p60)」1)「抗ガン剤治療によってガンの根治を目指すことはできない,奏効率p)ですら十分に達成することは困難(p86)」1)とあり, 「卵巣ガンの進行ガンは, 化学療法にで延命はできるものの, 完治は困難です(p249)」1) , とも制癌剤治療の専門家が言っている. 癌が消えてきているので, [婦人科医師のⓐの見解]が出されても不思議なことではない.
第3回の制癌剤投与 (TJ法)を8月28日に実施した. 制癌剤投与当日も, 春ウコンとポポンSを摂取した. 8月29日の朝から食事, 水分とも摂れており, 意識もしっかりして, 歩行や会話も問題はなかった. 顔がややむくみ気味だった程度で, 副作用の兆候もなかったことを, 医師が不思議がっていた. なお, 腹水は入院当初に一度抜いただけで, その後, 再び溜まらなかった.
この間の腫瘍マーカー値の変化は次表のようになり, 春ウコン摂取開始後57日で, 癌マーカー値が正常範囲となった. 癌化した部分の細胞は完全に修復したことが, 癌マーカー値の変化から言える. なお, この表をグラフ化して図21(参照:4.5.6)とした.
担当医は[制癌剤2回投与で腫瘍が縮小し, 3回投与で癌マーカー値が正常値となったので, かなり例外的な状況]と考えたようだ. 医師からは, 「治まっている癌の再発リスクを除去できる数少ないチャンスなので, 疑わしきは取ってしまおう. 癌の摘出より簡単な, 盲腸や子宮筋腫の程度の手術である. 目的は, 癌の根絶ではないのでリンパ節は取らず, 子宮と卵巣を摘出して腹水が再度溜まらないようにして, QOL(生活の質)を向上させることである」との説明があった. 一方, 「リンパ節への転移が疑われているため, すでに免疫系が癌に負けている状況だ」,「今の制癌剤は, ずいぶん副作用が軽減されているので, 10回ぐらい投与しても大丈夫である」などの説明もあった.
医師の説明にあるように, 癌が治まってしまった. このチャンスに, 癌があった臓器周辺を全部とってしまおうと考えるのは常識的なことなのかも知れない. しかし, [リンパ節への転移],[すでに免疫系が癌に負けている状況]であれば, 癌は治まっていないことになるが, 腹水が2ヶ月間溜まっていないので, 癌は治まっていることを側面から証明していることになる. 「腹水もなく, QOLは十分に確保できたので, 手術の必要はなさそうだ. また,一般的にも,開腹手術をすると癌が急速に拡がり, アッという間に患者が亡くなると言われている」と考えたY氏の長男は, 若干矛盾するこれらの説明に, 手術の返事を保留した.
春ウコン摂取89日でCA125値はさらに下がり, 標準値に入った. この状況で制癌剤が必要かと感じたが, 第4回の抗癌剤投与(TJ法)が9月24日に実施された. 制癌剤の副作用と思われる[足の引きつり]イ)がひどく, 造影剤による湿疹もひどくなった. 患者側は「癌の状況を見て, 手術や制癌剤治療を決めてほしい」と依頼した. CT検査,MRI検査,超音波診断が10月22~23日に実施された. その結果, 「すべての検査で癌の所見はない. 画像上は, 転移部分を含めて癌は認識できない. 通常の癌検診では, 問題なしと判断される状態である. 腹水もない. 」, との診断結果となった.
この結果を受けて, 医師から「手術をせず, 制癌剤治療8回を実施したい」との提案があった. 患者側から「治療をいったん中断したい. 体力に期待して, 様子を見たい」と申し入れた. 再び医師から, 「細胞免疫療法(瀬田クリニック)を受けているのか?」と聞かれたが否定したところ, 「きわめてうまく行っているケースなので, 制癌剤治療6回の標準プロトコールを完了したい」と言われた. しかし, 足の引きつりなどもひどいので, 第5回の抗癌剤投与(TJ法)を辞退し, 様子を見るための追跡評価を依頼して, 10月30日に退院した.
その後の12月3日の検査でも, 癌マーカー値や一般的な血液検査値は正常範囲であり, 腹水が溜まることなく, 毎日を元気に生活していたが, 12月末に腹部に違和感が出始めた. 2010年2月3日のMRI,エコー,血液検査は, 癌再発と判断され, 3月2日に子宮,卵巣,リンパ,盲腸の摘出手術を受けた.
12月末に春ウコンの免疫賦活が止まったとすると, 最終制癌剤投与3ヶ月で骨髄抑制が出た可能性がある. 制癌剤の効果は蓄積すると言われているが, 第3回,4回の制癌剤投与を避けていれば, 骨髄抑制を避けることができたように思う. また, 7月末から春ウコンを摂取開始したときに, 春ウコンが他の癌と同様に効果を発揮して癌マーカー値を3ヶ月で正常値まで低下させることができたのは, 骨髄抑制が起こらない[制癌剤の蓄積が少ない時期]だったからであろう.
なお, この間に変形性膝関節症が良くなった. (6)肺癌(4)の変形した股関節痛と同様の感染症によるもので, 春ウコンによる免疫賦活化で感染体が抑えられたための回復であろう.
イ)一般的な副作用ではないようである. 制癌剤を投与するとアキレス腱の周りが痛み, 投与との因果関係がはっきりしている症状である.
(27) 脳下垂体腫瘍(1) 筆者Aの運動部仲間(男性, 体重70kg, 1941年生)
Z氏は脳下垂体(下垂体)腫瘍と診断され, 1991年(平成3年)に第1回の手術を受けた. 第2回目の手術を1993年に受けて以後は腫瘍の悪化が遅くなり, MRI検査を1回/年受けながら経過観察してきた. ここ1~2年, 視力はしっかりしているが, 平衡感覚に異常が出始めて, 身体がふらつくことが多くなってきた. 2009年8月のMRI検査では, 「通常, エンドウ豆大の下垂体が, 腫瘍のために約2㎝立方まで大きくなり, 視神経近くまで来ている」と言われ, これからの重要方針を考えなくてはいけない局面となっていた. 筆者Aの癌談義を聞いたZ氏は, 春ウコンの効果に半信半疑であった. しかし, 下垂体腫瘍に対する処置は特別なことを何もしていなかったので, [春ウコンは免疫賦活力が強く, 副作用はほとんどない], との昔仲間の勧めに従って試すことにした.
9月17日より春ウコン錠剤35錠(3.5g)/日の摂取を始めた. 3日後(9月20日)の朝, 目覚めるとすがすがしい気分になっていることに驚き, Ⓐに連絡してきた. 「一喜一憂せず, 3ヶ月間しっかり摂取してMRI検査で変化をみてはどうか」と継続摂取を勧めた. 慎重に少量から始めたZ氏は, 特段の副作用もなさそうなので, 9月21日より70錠/日(5~6分割/日)に増量して経過を見ることにした. 体調の変化を見極めながら, 脳下垂体の状況を適当な時期にMRI検査で確認することにした.
3ヵ月後, Z氏は「①気分が明るくなった, ②視力に変化はない, ③バランスを崩して大きくグラッとすることがなくなり, 夜中のトイレも独りで行けるようになった, ④頭が重かったのが軽くなってきた, ⑤首と肩から背中にかけてあった痛さが退いてきた, ⑥空を見て歩けるようになった, ⑦目蓋を自力で開けることができるようになった, ⑧外耳道の湿疹が治まった]などの変化が起こったことを伝えてくれた. 「マイナス面の兆候は全くない. しばらく続ける」とのことで, ひとまず安心することができた.
しかし, 肝心な12月7日のMRI検査では, 下垂体腫瘍に何ら変化がないことがわかった. [春ウコンの成分が免疫細胞の受容体と反応して活性化しているとすると, 多分, 免疫細胞は脳関門を通過できない. よって, 変化はなにも起こらないのか], と考えた. 一方, Z氏の改善経過を見ると, バランス感覚や脳の重圧感が軽減しているのは変化が起こっていることなので, [癌の状態を脱して抜け殻になっている可能性もある], とも考えた.
単純に結論は出せないが, [下垂体腫瘍が他の癌と異なり時間がかかるのか], [免疫賦活の影響が脳には届かないのか], [癌の状態を脱した抜け殻をMRI検査は見ているのか]は, さらに経過を追って判断していくことになる.
(28) 乳癌他4種の癌(1) 筆者Iの知人(女性, 体重41(~50)kg, 1967年生)
LT氏は, 2008年8月24日に左乳房脇のしこりを見つけ, 乳腺クリニックでマンモグラフィー, エコー, 触診により, 乳癌の疑いが高いと診断された. また, Hがんセンターで9月1日に同様の検査に細胞疹を追加して調べ, さらに, 9月5日にCTと針生研検査を行い, 細胞疹はⅢb, 針生検は浸潤なし, と診断された. 「早期発見なので, 癌を手術で切除し, 手術後に抗癌剤と放射線治療を併用することで, 約80%の確率で5年後再発はない」との説明があったので, 10月2日に左乳房部分切除手術を受けた. 同時に, センチネルリンパ節生検を受けた.
手術後1週間で, [経過良好にて退院]とされた. 手術結果について10月17日に, [浸潤性乳管癌(充実腺管癌), 浸潤径2.2cm, グレード3, リンパ節転移なし, 脈管浸襲なし, 断端陰性, ホルモン感受性なし, 腫瘍細胞は〈ER(-),PgR(-),HER2(陰性)〉]と伝えられ, 通常の治療に入った.
この2008年(A)10月2日以後, 2009年(B)11月12日までに受けた治療を以下の一覧表とした.
イ)シクロホスファミド(アルキル化剤/ナイトロジェンマスタード)
ロ)ドセタキセル(植物アルカロイド/セイヨウイチイ系)
ハ)カペシタビン(代謝拮抗剤/フルオロウラシルプレドラッグ系)
ニ)エピルビシン(抗癌性抗生物質/アントラサイクリン系)
ホ)メドロキシプロゲステロン(ホルモン剤/黄体ホルモン系)
ヘ)ビノレルビン(植物アルカロイド/日々草ビンアルカロイド系)
ト)ゾレドロン酸(ビスホスホネート製剤)
チ)TC療法,放射線療法に不応で, ホルモン療法,分子標的薬が効果なし
2009年1月から発疹が出始めて検査要請をしたが, 3月までは何ら指摘を受けなかった. 4月末にX線撮影で放射線肺炎の疑いがあると言われた. これ以後に状況は一変し, 6月2日の結果を見た担当医は, 「手術後に極めて早期に増悪したtriple negative breast cancerチ)である. 余命は6ヶ月程度である」と宣告し, 「こんなに急激に再発転移した例は, 見たことも聞いたこともない」とも伝えた. これらの発言と手術前後の説明があまりにも違ったので, この説明に疑問を感じた. そこで, Hがんセンターの用意した[診療情報提供書]を携えて, セカンドオピニオンを数ヶ所の病院で聞いたところ, 数ヶ所とも「Hがんセンターの処置に同意見」と言われた.
6月22日以後も, Hがんセンターでは, さらに制癌剤治療が続いた. 白血球値も下がって治療が中断されたのを機に, 指示に疑問を感じ始めたHがんセンターから, 新設のIクリニックに転院した. ここでも制癌剤治療が続き, 11月12日まで[カペシタビン(5-FUプロドラッグ)/ビノレルビン(ビンカアルカロイド)治療]を受けた. 筆者Iの元の勤務先の同僚から「LT氏の癌が, かなり悪い状況だ」との情報が11月中旬に伝えられ, 筆者間で相談した結果, 「かなり厳しい状況ではあるが, 可能性はあるので春ウコンを勧めてみよう」ということになった.
11月18日から春ウコンを摂取し始めた. 多くの例では, 春ウコンを摂取するとすぐに大きな効果が出始める. しかし, LT氏の場合は簡単に効果が出てこなかった. 直前まで続いていた多種類の制癌剤治療や放射線治療による骨髄抑制の影響で, 骨髄から供給されるはずの免疫賦活対象の細胞が, 極端に少ないためではないかと考えた. 12月に入り, 食事も十分にとれず意欲も減退し, 極めて危険な状況となった. 頭蓋骨の骨髄ぐらいは残っているはずなので, この窮地を脱するには, このわずかな骨髄を活用し, 骨髄抑制が軽減するのを待ち, 少しでも回復した骨髄をうまく加算できるかが分岐点と考え, そのチャンスを逃さないために, 春ウコンをやっとの思いで摂り続けてもらった.
特に春ウコン摂取3週間目(12月初旬)は, 発熱に悩まされた. 担当医はこれを「腫瘍熱が出ている」と説明した. しかし, ⓐ春ウコンの摂取前に発熱はなかったこと, ⓑ3ヶ月前の検査では5種類の癌が確認されているので身体のダメージは限界に近いこと, などから, この発熱は[ある種の瞑眩]ではないかと考えた. 免疫細胞が少ないがために, 一気に出てくるはずの瞑眩が, 少しずつ発熱の形で出てきている, と考えてみた.
短期間に多種類の制癌剤を使用しており, これらの副作用の複雑さと残存期間はいろいろなので, 極めて複雑な骨髄抑制が予想された. どのような種類の骨髄抑制がいつ頃まで続くのか予測も難しいが, [骨髄抑制が解除された部分の免疫系を活用し, 徐々に快方に向かい, ある時点から幾何級数的に回復に向かうはずである]と考えた. 肺癌や肝臓癌で言われる自覚症状が, 12月中旬になってもはっきりした形となってこないので, 癌は抑えられ始めているように見えた. また, 食事も3食摂れるようになり, 体重も少し増加してきた(41kg→43kg). 12月の2~3週も厳しい状況が続いていたが, 病状に若干の変化が出た.
少し元気になり始めた12月23日, 1ヶ月ぶりで担当医が自宅を訪ねた. 持ち直しつつある状況を見て, 「予想していたより良い状況だ」と言って, すぐに放射線治療を勧めた. 今まで制癌剤,放射線治療などで効果がなく, 治療法がないtriple negativeと診断されたから厳しい状況になったLT氏に, 再び放射線治療が有効とは全く考えられないことであった. 12月30日に放射線治療を再び勧められた. 厳しい状況が多少良くなってきたが, 放射線治療の後遺症と思われる胸の症状の悪化, 身体への負担増, 骨髄抑制が追加される懸念, などを考えて返事を保留した.
2010年の正月になり, 子供を叱るくらいの元気が出てきた. 最悪は脱した様に見受けられた. しかし, 今まで受けてきた制癌剤や放射線治療の後遺症との格闘は容易なことではない, と考えていた1月下旬に, 再発癌と転移癌が急速に悪化し始めた. 最終制癌剤から2ヶ月後のことであり, 骨髄抑制が強くなって来たように思えた. そして, 1月30日に亡くなった. 大腸癌のC氏(参照:1.1.2(2))の無念な結果に近い状況であった.
1.2 癌についてのまとめ
(1.1の癌について, 内容の要点を一覧表とした)
表5 各種の癌への春ウコンの効果 (2010年1月現在)
T:ステージ) (延命期間の小数点以下は月数) (GIST:消化管膜間質性腫瘍)
*末期癌と言われた癌患者10例②③④⑧⑭⑮⑯⑳○25○26には全て有効であった.
*初期~中期癌と思われる5例⑤⑥⑦➒○23は5週間以内で癌が消失した.
⑨は筆者の一人. 筆者間で用法用量を確認して, 手術までの期間摂取.
○23は, 筆者の「癌に効くらしい」との話を聞き自主的に実施.
29例(有効24除外2,不明1,未定1,無効1)以外にも癌が治まっている友人はいる. 例えば, 肺癌以外に2つの癌があり, 手術後に, プロポリス,アガリクスを服用していたが, 春ウコンに切換えて3年以上も健康で癌が治まっている例もある. また, 胃癌手術後3ヶ月後から春ウコンを開始し体調を取り戻したクラブ仲間もいるが, きのこ系の食品を併用している. このように春ウコン以外にもいろいろと服用していた例は除外した.
また, 何回か腹水を抜いてあと何日もつかと言われていた末期の肝臓癌患者が, 春ウコンを摂取し始めて3日で亡くなったケースも除外した. しかし, このケースで, [医師の手を離れて, どの状況までは回復可能, どこから手遅れ, と判断するか]を考えさせられた. 全ての癌の全ての状況(身体の状態, 特に, 免疫系の状態)を救えるものではなく, [手遅れ]は必ずあるはずである. この判断基準は今後の課題であるが, 1.1.2の(13)前立腺癌(5)や(26卵巣癌(1)などの例をみると, 一般的に手遅れと思えるような場合でも, 春ウコンを試す価値は十分にあると考えている.
29例とはいえ, 今まで経験してきた殆んどのケースで春ウコンは卓効を示している. これらはチャンピオン・データイ)を集めたものではないが, 100%の癌が抑えられると断言できる症例数ではないと考えている. しかし, 今まで試みた末期癌を含めて, 下垂体腫瘍を除く殆んどの例で卓効を示しているので, 効果の有効確率はかなり大きいと考えている. 有効率を確定するためには, 統計学的な検討が必須要件である.
以下に, 29例から得られた事項を箇条書きとした.
- ①春ウコンの効果は即効性があり, 摂取と同時に効き始める. また, 広範囲の固形癌に等しく卓効がある. なお, 浮遊癌(白血病など)は未経験である.
- ②癌を抑えるためには, ある程度以上の春ウコンを摂取する必要がある. その量は, 癌の進行状況, 体重, 免疫系の状況, などで決まると考えているが, 末期癌で急を要する場合は, 一つの目安として, 1日5~7g程度を数分割(体重60kgの成人)して摂取する.
- ③種々の末期癌は, 春ウコンを概ね3ヶ月間服用で治まる. 効果の速さは癌細胞への血流(体液流)に関係があように思われる. しかし, 春ウコンを中断すると再発することがある. 再発は, 残っている体力, 免疫力などの状態も関係すると考えている. また, 初期~中期の癌では, 腎臓癌25日以内, 子宮体癌40日以内, 肺癌15日~30日で治まった例もある.
- ④前立腺癌は肝臓癌や肺癌などの他の臓器の固形癌と挙動が異なる. バイオプシ検査以外では他の癌のように消失が確認できず, 右肩上がりのPSA値が, (a)頭打ちとなる, (b)上下し始める, (c)右肩下がりとなる, などの状況となり, 医師の判断は[癌とは言えない状況]となる. 前立腺癌を手術により切除した場合, 転移のバイオプシ検査はむずかしい.
- ⑤春ウコンは, 糖尿病,高脂血症,うつ病,高血圧などの成人病(生活習慣病), C型肝炎やMRSAにも有効であり, 癌と同時並行的に治癒する.
- ⑥癌や成人病の病原体を短期間に完璧に取り除くことはむずかしいようだ. 癌をはじめとして各疾患を完全に抑えるのに, 春ウコン摂取条件(量と期間)をどの程度とするかは今後の課題である. これに限らず永年患ってきた細菌性やウイルス性などの疾患の中で, 春ウコンで治まる疾患は多いようである. これらの疾患は春ウコン以外の医薬品でも完治は至難であるので, 同時に色々の疾患が治まる春ウコンは経済的にも優れている.
- ⑦春ウコンの摂取次第で癌は治癒と悪化を繰り返す. 治癒速度は, 癌と他の疾患は殆んど同じである. 一方, 再発した癌の悪化速度は他の疾患の再発と比べてかなり速い. また, 疾患別に再発の悪化速度は色々である.
- ⑧高齢者, 体力の落ちている人にとって, 副作用の強い制癌剤は使いにくい. このような場合, 春ウコンは治療上の選択肢の有力なものの一つと考えられる. 制癌剤が大きなダメージを与えた例を経験してみると, 第一の選択肢は春ウコンではないかと考えている. 当然, 制癌剤が有効な例はたくさんあるとは思うが, 29例の中ではまだ経験したことがない.
- ⑨春ウコンによって, 制癌剤の副作用が軽減されることがある. 患者にとっては副作用が隠されてしまい, 制癌剤に耐えられると判断される. このため, 制癌剤の大量投与につながる危険がある. 副作用が少ない場合には, 却って, 患者にとって危険となることも考えられる.
- ⑩春ウコンの効果で癌が良くなっても, 患者は医師に春ウコンを服用していることを伝えることがむずかしいようである.
- ⑪当然のことではあるが, 初期の癌は末期癌より短期間で治まるようである.
- ⑫疾患の自覚症状がなくなると春ウコンの摂取を止めてしまう人が多い. 癌が再発してから春ウコン摂取を再開すれば良いのかもしれないが, 癌の進行度を簡便に検査できる方法が必要である. 癌が治まってみると, 発症のメカニズムが分かり易くなり, 検査方法開発にもつながる. 現在の検査法である[細胞が壊れて漏出してくる細胞固有の物質(癌マーカー)を調べる方法]ではなく, [特定の免疫レベルの測定法],[固有の核酸物質を高感度で検査する方法],[病原体の抗体測定法], などが必要かつ重要になると予測している.
- ⑬春ウコンの効果に個人差が見られない, と言えそうだ.
- ⑭92歳の人の末期前立腺癌にも卓効を示した. 高齢者でも有効である.
- ⑮春ウコンの効果が脳関門を通過するか否かは不明である. 広範囲の癌への有効性から, 春ウコン成分が癌に直接的な作用をしていないと推測できる.
- ⑯多くの制癌剤は免疫力を大きく下げる. 制癌剤により免疫力が大きく下がるので, 生命維持が危うくなる. 春ウコンが制癌剤の副作用を消してしまうのは, 免疫力低下を相殺するからだろう.
- ⑰肺癌(6)の例では, わずか3ヶ月でゼロから末期癌となっていた.
イ)意図的に良いデータだけを集めたものを, 通称, 「チャンピオン・データ」と言う.
1.3 糖尿病にも卓効
(1) インスリン治療中のRDさん(1941年生, 1996年4月, 2006年3月再開)
RDさんが「風邪をひきやすい」というので, 春ウコンを勧めた. 1996年春のことである. 1日3g程度を3分割して飲み始めたところ, 1ヶ月で血糖値が大幅に下がり, 3ヶ月でヘモグロビンA1c値c)も正常値近くまで下がった. 「春ウコンを摂ったら, 風邪をひかなくなり, 同時に, 糖尿病が良くなった」と, 初めて糖尿病と春ウコンの関係について報告してくれた人である. RDさんが良くなったので糖尿病仲間の2人に春ウコンを勧めてもらったところ, 殆ど同じ経過で2人とも良くなった.
しかし, 一度よくなってしまうと病気のことは忘れがちになり, また, 春ウコンの不味さも手伝って摂ることをやめてしまった. その後, 数年の間に病状が徐々に悪くなっていったようだ. あるとき病院での検診を受けたところ, 糖尿病の病状が再び悪化していて, ヘモグロビンA1c値は11.0と言われて大変あわてたという.
[以前, 糖尿病が良くなったときに飲んだのはウコンだった]ということだけ覚えていたので, ウコンに種類があることも知らずに買いに行き, 販売員の勧めでウコン(秋ウコン)を買って飲みはじめた. しかし, 病状はいっこうに良くならず, ついにインスリン治療を開始せざるを得ない状況になり, 2004年3月にはインスリン訓練のための入院となった. 糖尿病が悪化すると同時に, 風邪やヘルペスの回数が増え, うつ症状になり, 歯槽膿漏も悪くなっていった. そのうえ, 2005年にはレーザーによる眼の網膜症治療も始まった.
病状を心配した長女から「安価な秋ウコンだから病状が悪くなった. もっと高価なウコンミックスにしたほうが良い」と言われ, 退院後は長女が購入してきたウコンミックスに替え, これを以前と同量毎日飲んでいた. この商品は[春ウコン:秋ウコン:紫ウコン=1:2:2の混合物]で, クルクミン(ウコンの主成分)含量が春ウコンよりかなり多くなるので, 販売員がよく勧める商品である. しかし, 病状は少しずつ悪くなり, 糖尿病薬とインスリン量が増えていき, 2006年3月のインスリン量(4-4-4-6)イ)は多くなっていた.
イ)インスリン量(①-②-③-④)の数字は朝-昼-夜-活性持続型(夜)の投与単位
朝-昼-夜は「ヒューマログ注キット」, 活性持続型は「ランタス注カート300」
糖尿病は良くなっていると思っていたので, RD氏の店に行っても病気のことを話題にもしなかったが, 2006年3月末に久し振りに病状を聞いた. RD氏から, インスリン治療を受けて2年になること, ウコン(秋ウコン)とウコンミックスを摂っていたことを, そのとき初めて聞いて驚いた. <第一期>
そこで, ウコンの種類と特徴を簡単に説明し, ウコンミックスから春ウコンに戻し1日5gを3分割して飲むように勧めたところ, インスリン治療を受けていても7.9まで上がっていたヘモグロビンA1c値は15日間で7.5まで下がり, 25日目には「体が軽くなった」という感じになり, 気が付くとうつ症状や歯槽膿漏やヘルペスが治まっていた.
糖尿病のインスリン療法を続けていたので, 春ウコンの摂取に際してはトレーニングを受けたマニュアル通り, 低血糖にならないように細心の注意をしながらRD氏は摂取した. 50日目の検査ではヘモグロビンA1c値は7.2となった. [うつ状態]が消えて精神も安定し, 血糖値が突然跳ね上がることも殆どなくなり, 低血糖症によるショックも起きなくなり, 更には, 皮膚の張りが戻り顔色も良くなる, などと全般的に体調は良くなってきた.
春ウコンの摂取を再開して3ヶ月ほどでヘモグロビンA1c値が7.9から7.2まで落ちたが, これ以下には簡単には低下しなかった. 中高年の人に機能回復があり得ることなのか, という不安はあったが, [網膜症治療]をしないで済むという大変うれしい状況となった. この悪化がない状況に, 期待を持てた.
しかし, 春ウコン粉末の大量服用(1日5g相当)を始めたはずなのに, 予想していたほどヘモグロビンA1c値が下がらなかったので状況をよく聞いてみると, 1日3gだったことが分り, 急いで量を増やすことにした. ところが, ここから2ヶ月を過ぎてもヘモグロビンA1c値が下がらず, むしろ, 徐々に上がってしまった. 不思議に思い, 再び聞いてみると, 5g/日を3分割して飲むべきところを, 聞き違えて5g×3回=15g/日も飲んでいることが分り([誤飲期間]), 慌てて減量してもらった. このことで, 摂取量と効果の関係に[オプティマム(最適量)現象]があることを初めて経験した.
考えている通りになかなか進まなかった例であるが, 多くの情報と教訓を得ることができた. これらの経過について, 血糖値(朝の空腹時), ヘモグロビンA1c値, 春ウコン摂取量, インスリン量を以下の一つのグラフとした. なお, 空腹時血糖値については全数表と移動平均表(5日, 10日)をグラフ化したところ, RDさんの場合は10日移動平均が体調のリズムを掴むのに最適であった.
インスリン治療に入ると, [当初, 持っているインスリン分泌機能が退化してしまう]と一般的に言われている. この治療に入ってしまったためか, インスリンを出す器官の機能低下が起きてしまったようで, 回復させるまでに大変な苦労をしているように傍目からは感じていた.
しかし, 本人の言によれば「眼の網膜症治療が始まっていたので, 良くなる見込みが全く立たず, いつまで眼はもつのか, 腎臓は何時どうなるのか, 足は切ることになるのか, などの, 予想される合併症の不安ばかりが先行していた時に春ウコンの話が聞けた. 病気が悪化せずに良くなる可能性が出てきたので, 気分は天国と地獄の差がある」と, 大変明るく話していた. 「2年以上もインスリン治療をして退化した機能の回復だから, 年齢も考えるとかなり気長に構えたら」などと, 慰めにもならないことを言ったりしながら, 長期戦を考えなくてはいけないのかと思っていた.
しかし, ここまで来るとRD氏は確かな手応えを感じていた. インスリン治療に入って以後, 膵臓のインスリン分泌機能は退化しているようだった. トレーニングを受けて自主管理に任されているインスリン量を多少減らして, インスリン分泌機能の再生回復ができないか, と考えたのでRD氏と相談した. すでに始まっていた網膜症のレーザー治療は, 春ウコン摂取を始めて4ヶ月で終了した. これに喜んだRD氏は, 新たな試みに積極的に対応し始めた(なお, 3年10ヶ月後の現在もレーザー治療の再開はない). <第二期>
インスリン量を減らしたこと(インスリン量:3-3-4-6)と食事を普通の食事に戻したことが影響したためか, RD氏のヘモグロビンA1c値は7.5前後まで上がったものの, 安定したヘモグロビンA1c値だったので, そのままの生活を続けた. この間に機能回復がなされたようで, 9ヶ月したところで成果が現れた. 血糖値が急に下がり始め, さらにインスリン量を減らさないと危険を感じる状況(「低血糖の発現」)になってきたが, 膵臓の機能回復がなければ考えられない状況である. <第三期>
ヘモグロビンA1c値は6.4が3ヶ月続いたので, 夕食後のインスリン量を4から3単位に減らし, 1日6単位の活性持続型インスリンを5単位とした(3-3-3-5). 第3期と同様に, インスリン分泌機能の一層の回復を図る努力に入った. 寒い時期に向かうとヘモグロビンA1c値は上昇すると言われているが(免疫が下がるためか?), 第三期に比べて上昇が小さいのは, 退化したインスリン分泌機能がある程度回復したためといえる. <第四期>
図6 インスリン治療中の糖尿病患者への春ウコンの効果(インスリン量削減)
(図6のヘモグロビンA1cをHA1cと略記, 図7も同じ)
以上の経過を簡単にまとめてみた. インスリン治療に入って2年(食事毎に4~5単位, 睡眠前に活性持続型6単位), 網膜症の治療も始まり, ウコン(秋ウコン)を併用していた. 春ウコン摂取(5g/日, 3~5分割)を始めると4ヶ月でヘモグロビンA1c値は7.7から6.5まで下がり, 同時に網膜症の治療も終了した. そこでインスリン投与量を10%減らすと, 2ヶ月で7.5まで上昇し5ヶ月間この水準が続き, 膵臓の機能が一部回復したためかヘモグロビンA1c値は6.4まで落ちた(この間9ヶ月). そこでインスリン投与量を再び約15%減らすと, 2ヶ月でヘモグロビンA1c値は7.5まで上昇したが, 直ちに6.7まで下がった(この間4ヶ月). インスリン分泌機能が回復してきたためと考えているが, インスリン削減が加速しており, インスリン治療終了の可能性が見えてきた. しかし, RD氏はここで息切れしていまい, インスリンの減量は<第四期>で断念してしまった.
糖尿病患者で, 網膜症治療が終了し, インスリン治療も終了に向かっている例は, 稀なことと考える. 後出1.3(2), (3)では春ウコン摂取で単純に血糖値が低下したが, インスリン治療を始め, インスリン分泌機能がいったん退化してしまうと機能回復を段階的に進めざるを得ず, 時間と工夫が必要になる. 特に, 活性持続型を使用すると退化が著しいようである.
この一例だけで結論付けることはできないが, RD氏の経験から分ったことがたくさんある. 以下に箇条書きとした.
- ①糖尿病を抑えるには, 春ウコンが重要である.
- ②クルクミン量が多ければ良いというものではなく, 秋ウコンとウコンミックスは, 糖尿病への効果が小さかったようである. 他のウコン類より春ウコンがより効果的である.
- ③春ウコンの中にはクルクミン以外に, キーとなる物質が含まれている.
- ④春ウコンを摂取して良くなった糖尿病でも, 摂取量が不足すると病状は再び悪化する. 悪化するまでには数年単位の時間を要する. 春ウコンの摂取の有無によって病状の悪化~回復が可逆的である傾向は癌でも見られたが, 癌と糖尿病では悪化速度に差異がある.
- ⑤当然, 摂取量が少なければ効果がなく, また, 量が多すぎても効果がなくなる. 摂取量には[最適量(オプティマム)]があるが, 有効領域の幅は広そうなので使用上の危険性小と考えている. 春ウコンが抑える癌や他の疾患でも, 同様の現象が予測される. [用法用量の重要性]を示唆している.
- ⑥最適量には個人差があり, 病状によっても変わりそうである.
- ⑦糖尿病を悪化させてインスリン治療に入ると, 病状回復までに長時間を要する. この治療に入ると, インスリンを出す機能が退化してしまうと推定されるが, 機能回復に要する期間は, 機能の引き出し方と病状(退化の進行状況)によって変わりそうである. 機能回復基調に入ると症状は急速に回復するので, インスリンの使い方には細心の注意が必要となる.
- ⑧糖尿病の改善には時間がかかったが, うつ状態,風邪,ヘルペス,歯槽膿漏などが, ほとんど同時並行的に短期間で改善した.
- ⑨疾患が良くなると, 不味い春ウコンは敬遠される. 悪くなると, 早く直そうとして多量に摂取し勝ちとなる.
- ⑩インスリン分泌機能の回復には, インスリン治療期間,年齢,体調,余病など,いろいろのファクターの総計が効きそうである. 次項のSD氏の母親の場合, 年層はRD氏に近いが, 短期間でインスリン治療を受けなくてよくなっている.
- ⑪投与するインスリン量を減少させながら退化していた自己のインスリン分泌機能を回復させ, 同時に, 始まっていた網膜症のレーザー治療を終了させた, 稀有な例である. また, インスリン治療に入っていた患者がインスリンの分泌機能を自力回復させた例は稀に見る例でもあろう. この方法は, 新しい治療法の提案になるだろう.
また, RD氏の調子が良くなったのを見て, ご主人も春ウコンを摂取し始めたところ, 緑内障の眼圧が4ヶ月後には32から16へ下がり, 長年患っていたドライアイの苦痛から開放された(2006年12月).
(2)食事と運動療法中のSD氏(1949年生, 1997年5月)
「糖尿病のために生命保険の切り替えができない」と困っていたSD氏に, 「糖尿病が良くなった例もあるので, 春ウコンを試してみてはどうか」と勧めた. RD氏のケースを経験したばかりの1997年5月のことだったので, 春ウコンが糖尿病に効くという確信を持てる状況ではなく, 「無責任な話だが, 一瓶進呈するから騙されたと思って飲んでみたら? あなたは風邪をよくひいているが, 少なくとも風邪はよくなる. 食品であり副作用はないと思うが, 体に合わないようだったら直ぐに止めて貰いたい」と飲み方を伝えた.
SD氏が春ウコン1日3gを3分割して飲み始めてから約2ヶ月間経ったところで, 血液検査のヘモグロビンA1c値は正常領域6.0に低下した. それまでは医者の指示に従って, 趣味の自転車を運動の日課とし, また, 毎週週末に一所懸命サイクリングをやっていたにもかかわらず効果が余り上がっていなかっただけに, 春ウコン摂取後の結果をみて, 「やはり効いた」とSD氏と2人で驚きながら, 喜び合った.
保険会社の女性外交員は, 血糖値が下がったという結果を伝えても半信半疑で, 「お客様で糖尿病が治った人を見たことがないので, 保険会社の指定病院で再検査をして貰いたい」と依頼してきた. その指示に従って再検査した結果は合格となり, 生命保険の切り替えが可能となった.
これを喜んだSD氏は, 糖尿病の母親に春ウコンを送りたいと相談に来た. 直ぐに飲んで貰ったところ, 糖尿病が治まり, それまで使っていたインスリン投与が不要となったと報告にきた. 糖尿病は不治と言われている上に, インスリン治療に入っている人までもが治ったと聞き, 驚くと同時に試して見る価値が極めて大きいものだと思った.
(3) 急激に悪化した糖尿病患者のK氏(1932年生, 男性, 70→60kg)
重度障害の脳梗塞患者K氏は, 3度目の発作を起こした2001年4月から殆どベッドに寝たきりの状態だった. 2003年6月に, 眠っていることが極端に多くなったことに家族が気付き, 本郷にあるクリニックの訪問診療の医師に相談し, 血液検査をすることになった. その結果, 血糖値とヘモグロビンA1c値で糖尿病がかなり悪そうだと疑われる値が出たので, 確認のために定期的に診察を受けているT大付属病院で診察と再検査を受けた. 再度, 同様の結果が出たため, すぐに糖尿病薬が処方された.
家族から「糖尿病がかなり悪く, 心配な状況だ. 糖尿病に効きそうなものがあると言っていたが, 試してみたい」との連絡を受けたので春ウコンを勧め, 6月28日から春ウコン粉末を1日約3~5g摂取し始めた.
表6 K氏の血糖値とヘモグロビンA1c値の推移
(正常範囲:血糖値70~110 mg/dl ヘモグロビンA1c 4.0~6.0%) 下記にグラフ
図7 急激に糖尿病が悪化した患者への春ウコンの効果(背景因子少)
前日の検査結果を見たT大付属病院の医師の診断は, 「糖尿病領域の数値だが, 膵臓からインスリンはまだ出ている」とのことであった. 次回, 7月24日に検査を受けに行くと, 医師はインスリン投与を考えて準備していた. しかし, 検査結果には数値の低下傾向が出ていたので, 糖尿病薬量を半減させながら様子をみることになった. さらに10月の検査ではほぼ正常領域となり, 「このような症例を今まで見たことがない」と, 医師を大変驚かせる結果となった.
高血圧の症状も, 糖尿病の指標の低下と軌を一にして改善し, 血圧値も正常値に近づいた. その後, 睡眠は平常時に戻り, 脳梗塞以後の失語症が回復し始めた. 3年後には失語症はなくなり, ヘモグロビンA1c値は, ここ2年間の春ウコン摂取が十分でなかったにも拘らず5.8~5.7と正常値で推移している. 脳梗塞による重度障害はなりの快方に向かっている. 障害の軽度化や失語症回復と春ウコン摂取との関係は不明であるが, リハビリテーションの担当者は「今までに経験したことのない回復状況である」と言っている.
脳梗塞の回復傾向(参照:1.3(3), 言語機能と身体機能の回復)は, 春ウコンによる血液粘度低下効果による単純な改善とも見える. しかし, 例のないことなので, 脳内のバイパスの構築などと免疫力との関係を考えてみる必要もある. 例数を増やして検討する必要がある.
春ウコンの糖尿病への効果を, 数値的に捉えた初めてのケースとなった. ヘモグロビンA1c値5.7が正常値の上限とすると, 疾患の回復率は, 110日で92%, 6ヶ月で97%, 1年後に99%と言ってもよい.
糖尿病と肺癌(参照:1.1.2(3))の回復速度が殆ど同じだったことは, 面白いことと感じた. 個体差があるので「同じ速度」と結論付けることはできないが, 回復速度に大きな差異はないと推測できる.
(4)大腸癌と糖尿病を併発したC氏(1932年生)
末期の大腸癌と糖尿病が同時並行的に治まった例である(参照:1.1.2(2)).
(5)糖尿病薬長期間投与と食事と運動療法中のWD氏(1954年生, 49歳, 70kg)
40歳頃から糖尿病と診断され, 血糖降下剤の投薬が始まり, 食事療法と運動療法を医師から勧められた. これらの療法を忠実に実行していたが, ヘモグロビンA1c値は徐々に上昇していた.
春ウコンを2~3g/日を摂取して4年以上になるが, ヘモグロビンA1c値の上昇が頭打ちとなり, 若干改善が見られた程度だった. 前述した「RDさんの初期,RDさんの2人の仲間,SD氏親子,K氏,C氏ら,計7人」のように劇的に良くならなかった初めてのケースだったので, 春ウコンの効果が出ない糖尿病のタイプもあるのか, と当初は考えた.
以前ほどひどくなることはなかったが, 業務の性格上, 決算時期の過労と寒さが重なる冬季は, 糖尿病が悪化する傾向は変わらなかった. 糖尿病はあまり良くならないものの, 風邪をひかなくなったことなど, 体調の全般的な改善点が見られたので, 摂取を継続しながら経過観察を続けていた.
図8のように, WD氏のヘモグロビンA1c値は2007年前半までの数年間は, 周期的な年内変動を繰り返していた. 以前から, 糖尿病薬[アマリール]イ), [ベイスン]ロ)を摂っていたが, ヘモグロビンA1c値と血糖値低下に顕著な効果が出ず,担当医からはインスリンの分泌が悪いタイプの糖尿病と言われていた.
図8 長期間療養中患者(投薬, 食事, 運動)への春ウコンの効果(用法用量)
この言を受けて, WD氏から「春ウコンを4年間続けているが, 糖尿病が多少は良くなったように思うが, 医者から言われているようにインスリン分泌が悪く, 顕著な効果が現れないタイプかも知れない」と言われた. この頃には春ウコンと免疫の関係が推測できるようになってきており, 糖尿病と癌に対する春ウコンの効果は殆ど同じと分かり始めて来ていたので, 「そうかも知れないが, 癌の場合は5g/日(体重60kgの場合)以上を数ヶ月間摂取する. 諦める前に3ヶ月間だけ癌と同様の量を摂取してみないか」と勧めたところ, 2007年8月から5~7g/日の摂取を始めた.
日頃の健康管理を数値管理しているWD氏は, 12月になって, まとめてヘモグロビンA1c値(6.5)までをグラフ化した. そのグラフの傾向に驚いたWD氏から, 大喜びの電話をクリスマスイブにもらった. こちらも心配していたので, 格別のクリスマスプレゼントをもらった気分になった.
その結果は図8に示した通りである. 例年, 同じ経過を繰り返していたへモグロビンA1c値が, 2007年9月から2008年4月にかけて大幅に改善する結果となった. 2~3g/日では[現状維持~やや改善]だったが, 5~7g/日に増量したところ, 数年の傾向では寒さに向かって上昇が始まる時期に, ヘモグロビンA1c値と血糖値が急激に低下し始め[著効]が現れた. 春ウコン(5~7g/日摂取)でインスリンの分泌量が増加していることが窺える結果が得られた. また, 低血糖の恐れがでてきたので, 血糖降化剤を控え, 5~7g/日を継続して様子をみることにした. この著効が現れた3ヶ月の間に, 長年, 苦痛であったドライアイが同時に改善し, 目薬の使用量は3分の1で済むようになった.
この結果からみると, WD氏が良くならなかった理由は, 春ウコンの摂取量不足という用法用量上の問題があっただけだった.2002~2007年のデータからは, この時期のWD氏の摂取量では悪化を防ぐ程度の摂取量であり, WD氏の免疫力の年内周期を見ているだけだった. 仕事上のストレスと寒さなどの免疫を下げるいろいろな要素による変動は, WD氏の場合はへモグロビンA1c値に換算して2.5前後あるといえるだろう.
2007年12月にはヘモグロビンA1c値が6.5となり, 寒い時期としてはこの数年経験したことのない好結果であった. この好成績に気が緩み, 正月からの3ヶ月間はやや暴飲暴食気味であったにも拘らず, 4月のヘモグロビンA1c値7.1は同時期の過去数年間の値より約2.2低下した. この数値から見て, インスリン分泌能力が全快したと単純には言えないが, 明らかに分泌機能は大きな回復傾向(2/3程度回復か?)を示した. 概略, (9.3-7.1)/(9.3-5.7)×100=61%が新陳代謝の速い細胞であり, 残り39%が代謝の遅い細胞と言える.
その後の一年間は, 食事規制を厳しくするとヘモグロビンA1c値は6.5~6.8となったが, 少し緩めたときには, 6.8~7.1で推移した. 不治の病と諦めかけていた糖尿病の回復に当人は大変満足していた. しかし, WD氏のヘモグロビンA1c値は, 糖尿病薬を摂り続ける限り膵臓細胞に負担を掛け続けるので, 大きな改善は期待できないことを示していると思われた. また, どこまで落とすことができるかは, 膵臓細胞が新陳代謝で入れ替わった時にはっきりする, とも考えた. 血糖値が低下したので投薬中断の危険が減ったので, 改善意欲が出始めたWD氏にこの考え方を伝えると, 2009年7月から, 糖尿病薬イ)の投与をやめてモグロビンA1c値の改善を見ることにした. 2ヶ月後に, 若干, 改善し(約10%), 4ヶ月後には食事制限なしで6.5まで落ちてきた. まだ, 結論を言うには早計であるが, 低下が止まったときが新陳代謝の遅い細胞が全量交換したときと考えられるので(参照:4.2.4), 月単位で推移を追うことにした.
このケースをみると, 癌も糖尿病も有効摂取量は同程度と考えられそうなことが再確認できた. もちろん, 個人差や病気の重篤度によって差異がでるので, 単純には結論が出せないが, 用法用量に大差がないようなので, 疾患原因と治癒のメカニズムが似ているようにも思えた. また, 次項の1.5を併せ考え, ウイルス感染あるいは自己免疫疾患が原因とされるインスリン依存型(Ⅰ型)糖尿病や若年性糖尿病にも試す価値がある.
イ)「アマリール」(アベンティス社)(経口血糖降下薬, スルフォニルウレア系)
ロ)「ベイスン」(武田薬品)(食後過血糖改善薬, α-グルコシダーゼ阻害剤)
1.4 糖尿病のまとめ
- ①春ウコンを充分量摂取すると, 糖尿病は30日で快方に向かい, そのまま病状を見守る, という状況になり, 3ヶ月で[血糖値がほぼ正常領域に低下]となってくる. しかし, 治癒率は110日で92%, 1年で99%である.
- ②糖尿病にはウコンミックス・ウコン(秋ウコン)より, 春ウコンの方が有効性ははるかに高い. 春ウコンのクルクミン含量はウコンの1/10である. クルクミン以外の他の有効成分が重要であると思われる.
- ③春ウコン以外のウコンにもいろいろな生理活性作用はあるようだが, 癌や成人病などへの治療効果は, 必ずしもクルクミン量に比例する訳ではないようである. 当然のことではあるが, 春ウコン, 紫ウコン, 秋ウコンの3つは別物であり, 効能の差に特色がある. ウコン類の品種は多数ある.
- ④インスリン治療を行っていても, 春ウコンを摂取して簡単にインスリン不要となる場合がある. 一方, 糖尿病薬投与やインスリン治療に入り,長期間が経過した場合, 膵臓細胞のインスリン分泌機能が部分的に退化してしまうためか, 短期間にある程度までは回復するが, 残りの機能は徐々にしか回復しないケースがある(参照:4.2.4).
- ⑤背景因子が少ない糖尿病が治まっていく経過は, 直腸癌や肺癌などの癌が治まっていく経過と極めて近い. 糖尿病は血糖値やヘモグロビンA1c値などの数値で病状を見ることができる. 癌については, 現在, 前立腺癌以外の癌は血液中の成分で管理することが難しく, 癌の大きさ(視覚的判断)に頼らざるを得ない. 癌が数量的に測定可能となれば, 糖尿病の図7(参照:1.3(3),p57)のような経過をたどっていることが予測される.
- ⑥糖尿病には, ウイルス性を含めて幾つかのタイプがあるという. 春ウコンを試した人たちが, たまたま一様に春ウコンが有効なタイプだったのかも知れない. 全てのタイプの糖尿病に有効かどうかは, 症例を重ねるなかで解析していく必要があり, 今後の課題である.
1.5 その他の有効だった症例
(1) 類天疱瘡(ルイテンポウソウ) (1932年生, 男性, )
糖尿病となって春ウコンを始めた親戚の脳梗塞患者K氏(1.1.2(10))は, 1年後(2004年)の6月中旬に水疱疹ができ始めたので, T大付属病院で診察を受けた. 8月に入ると症状は一段とひどくなり, 指から腕にかけて全面的に包帯で覆うほどとなり, 類天疱瘡と診断された.
医師から「入院をさせてステロイドを大量に使う治療法を行いたい」と言われた家族は, ステロイド治療の怖さからこの療法を辞退し, 医師からは「大した治療効果は期待できない」と言われた[ミノマイシン+ニコチン酸アミド療法]を選択した. 糖尿病が良くなったときに摂取した春ウコン(1日3~5gを3分割して摂取)を摂って様子をみることにした.
T大付属病院ほどの大病院でも珍しい病気のため, 多くの医師を初めとして研修医までが写真撮影, 口蓋観察に来るような状況になった. 医師から「治癒には1年ほどの期間がかかり, 失明の心配がある」と言われた. しかし, 1ヶ月後の9月中旬には類天疱瘡が驚くほどの早さで完全に治まった. あまりの回復の早さに驚いた医師は, 「類天疱瘡がこんなに速く治るはずがない」と言って, 病名を「老人性天疱瘡」と修正した.
この患者が春ウコンを摂っていなかった数年前に帯状疱疹に罹ったときには, この病気の多くの患者と同様に約1年間に亘ってかなり苦しんだことを考えると, 類天疱瘡との診断が間違っていたのではなく, 摂取した春ウコンによって早期に改善したと考えている. 症状が治って行く傾向と速度は, この患者の糖尿病が治っていく経過に近似していたので, [免疫系の仕組ができるまでに2ヶ月を要し, 春ウコンがこの免疫を活性化して類天疱瘡を糖尿病と全く同じように抑えていった]と推測できる.
なお, 類天疱瘡患者は癌を併発していることが多いと言われている. 疾患の治癒と同時に腹部より上のCT検査をしたが, 癌は発見されなかった.
(2) C型肝炎 (1940年生, 男性, 体重60kg, 抗体保持者)
仲間の高校時代の同級生がC型肝炎でインターフェロンが効かずに困っている, とのことだったので春ウコンを勧めた. データは貰えなかったが, C型肝炎が良くなった当人は生産地の沖縄まで見に行ったという話だった.
C型肝炎に困っていた水泳仲間TC氏に, 「春ウコンはどうやらC型肝炎にも効きそうだ」と話した1994年の水泳大会の直後から, TC氏は春ウコン摂取を始めた. 消防庁の救急隊長をしていたTC氏は, 職業上の感染によると思われるC型肝炎抗体陽性者だった. 50歳を過ぎてから肝酵素値が上がり, 肝臓癌を心配し始めていた. インターフェロンを使った治療でも肝酵素値が下がらず, 効果が出ない体質と診断された. その直後のことだったので, この情報を喜び, 春ウコン摂取を直ぐに始めた.
春ウコンの摂り方についてのアドバイスを求められた時に, 「1日量5gを一度に飲むのではなく, 均して飲んだ方が良い」と言ったところ, 500mlのPETボトルに1日量(5g)の春ウコン粉末を入れて水で満たし, 水代わりに1日かけて飲むようにした. この摂り方は大変上手な方法だったことが, 結果としてすぐに現れた.
C型肝炎と診断されて以後の12年間は, HCV抗体検診は常に陽性だった. 水泳はしていたが, 体調は以前と比べて必ずしも良くなかったので, 酒席も控えめにしていた. 春ウコンの摂取を始めて3ヶ月もすると体調が良くなり, 肝酵素値は正常領域近くに落ち着いてきた. 徐々に酒を増やし, しばらくすると昔のようにほぼ毎日晩酌を楽しむ生活を始めた. それにもかかわらず, 肝酵素値は更に良くなり, 医師が不思議がる一例となっている.
しかも, 2005年10月の肝炎ウイルス検診結果は, [現在, C型肝炎ウイルスに感染していない可能性が極めて高い⇒<5段階評価の4 > (1~3段階が陽性)]となった. 抗体検査値が長期間陽性だったが, 春ウコンを摂りはじめて4段階に改善した. [細胞内に潜伏している抗原(C型肝炎ウイルス)が大幅に減少し, その結果, 抗体も減少したことを示している]と, この結果を解釈できる.
一般的に, [免疫記憶]について, [一度罹ったら一生続く免疫と短期間にうすれる免疫について, 免疫記憶にかかわるリンパ球が全身分布か局所分布かで違いが出る]と説明されている. このC型肝炎の結果からは, [抗原が潜伏している間は抗体が存在し, 抗原が淘汰されれば抗体がなくなる]と考えられる. 抗原抗体反応や免疫記憶の常識とは解釈が異なるが, C型肝炎抗体を抑えることができてみると新しい解釈が出てくる(参照:4.1.2の2)).
(3) MRSA (1941年生, 男性, 60kg)(前出)
前述(1.1.2(1))したB氏は, 1999年4月に直腸癌の再発を春ウコンで抑えて以後も, 摂り続けていた. しかし段々と摂取量が減ってしまい, 有効量以下となったのに気づかなかった. MRSAによって痔ろう化した人工肛門周辺の部分が完治しなかっただけでなく, 一時はこの感染で命も危ぶまれる状況になった. 2004年7月になって, 「B氏が危なそうだ」との情報が友人から入ったので, すぐに会ってみると春ウコンの摂取量が少なくなっていた.
春ウコンを適正量摂取し始めると, 癌の再発らしき症状と難治性MRSAが同時に治まった. 医師は予想もしないことが起こったと思ったようだった. 6ヶ月の経過観察後にもMRSAの再発がなかったので, 人工肛門を元の肛門に付け替える手術が可能と判断し, この手術に踏み切った. MRSAによる痔ろう化が再発したら人工肛門に戻すことになっていたが, 懸念していた肛門周りのMRSA再発も2005年5月以降, 起こっていない. 水泳もできる体に戻り, 2010年の現在も健康な生活を送っている.
細菌類とウイルス類の活動を抑えるには, 春ウコンの最低必要量と服用期間を的確に掴んでおくことが重要である. 長患いで免疫系の機構ができていれば, 適正量の春ウコンを摂ることにより, 糖尿病の図7(参照:1.3(3))のように症状は短期間で改善するようである.
(4) 蓄膿症, 慢性的喀痰と歯槽膿漏 (1940年生, 男性, 65kg)
積年の蓄膿症と慢性的喀痰症に悩まされていた友人のUT氏は, 春ウコンを始めて約1週間したところで, 慢性的喀痰症の症状が改善し始めた. その後, 慢性的喀痰症が2ヶ月程度でほぼ治まり, 人前で不快な思いをさせることも激減したので, 気分的な負担が軽減した. 蓄膿症は喀痰症ほど簡単には改善しなかったが着実に改善し, 6ヶ月で蓄膿症も気にならないほどに改善した.
両疾患共に抗生物質が効果を発揮しない炎症である. 早世した父親が痰をよく出していたのを子供心に覚えていた. 当人が30歳を過ぎた頃に痰が出始めたときに, これは家系と思って諦めていた. しかし, 健康のためにと春ウコンを摂取して両疾患が治まったので, その変化に驚いたという.
歯槽膿漏などによる口臭を改善した人は数多い. 抗生物質などでも抑えることができなかったような口腔の悪臭,蓄膿症,喀痰症などの疾患を軽快させ, 永年の苦痛から開放されたことは, 衛生面や自覚症状の面で利点が大きい. 春ウコンが十分な効果を出すには1~3ヶ月かかることが多いが, 口臭や膿などの症状が同時に改善することは, 気が付きにくい本人よりは, むしろ周囲の人の苦痛軽減に大きく貢献することになる.
これらは命に関わることではないので軽視されているが, 不快感からの解放は多面的なメリットをもたらす. 病原体が潜伏しやすい部位なので, どの疾患も完治には時間がかかりそうであるが, 症状を大幅に軽減できればそれだけでも十分に価値がある. また, 歯槽膿漏の場合には, 春ウコンを摂りながら歯茎などのブラッシングによる血流促進を補助的に行なえば, 効果は一層上がり, 歯と口腔の健康につながる. [歯は身体の健康の基礎]との米国流の考え方からすると, 口腔内の健康法は重要なのだろう.
蓄膿症も, 癌と同じように[ポリープ]ができることが知られている. 身体にとって不都合なものを排除する仕組みがポリープ, のように見える.
(5)うつ病
RDさん(参照:1.3(1))は, 糖尿病のインスリン治療に入ってから, エネルギーが出ずに落ち込む日々が続いていた. このうつ症状が春ウコンを摂り始めて2ヶ月もしない内に消え, 元気が戻った. インスリンの分泌が悪くなったのが糖尿病, アドレナリンの分泌が悪くなったのがうつ病と考えると, 同時に良くなるのは, 原因が似ていれば不思議なことではないのかも知れない.
また, 臨床心理士のX-1さん(1944年生, 62歳, 56kg, 女性)は, 永年うつの状態が続いていた. 職業柄, うつ病をよく理解し, コントロールする術はわかっていたので, 自身で何とか抑えていたという. 春ウコンのうつ病に対する効果を聞いて, しっかり摂取し始めて2ヶ月ぐらい経った頃からうつ症状が急速に改善し, 顔の表情が柔らかくなった. 周囲は, 当人がコントロールしていたのでうつ病だったことに気がつかなかったが, 本人はこの変化を充分自覚できたと言う.
X-2氏(1939年生, 68歳, 70kg, 男性)は, 数年間うつ症状に悩まされていた. 職業のジャーナリストにも差しさわりがでるような状況が続いていた時に, 春ウコン摂取(3g/日, 3分割して摂取)を勧めた. 2ヶ月も経たない内にうつ症状が消え, 「自分の頭脳は, こんなにいろいろなことが考えることができたのか」と実感できる状況となった.
X-2氏と全く同じような感想を述べたのがX-3さん(1948年生, 60歳, 55kg, 女性)である. 数年前から精神科医や神経内科を訪ね, 誘眠剤を中心とした治療を受けていたが, 結果ははかばかしいものではなかった. 60歳になってから, 春ウコンの摂取法(日量と摂取回数など)を聞いて(4g/日を3~4分割して摂取)しっかり摂りはじめたところ, 2ヶ月もしない内に表情が明るくなり, 頭が働き始めたと言う. 日に何回か横になるのが日課のようになっていたが, 元気を取り戻すことができたので, この生活から完全に脱却できた.
うつ症状を抱えた人の中で, 多くの割合の人が春ウコンで元気を取り戻せることがわかったが, 確かな診断と統計的な評価をする必要がある. ただ, 余程うつ病で苦しんだ人でない限り, うつ症状から開放されても, 「私はうつ病などではなかった」と言うことが一般的には多いようである. うつ症状の原因は過労, ストレス, 不安など, いろいろな要因があるようだ. 今回の例にはないが, 産後うつも原因が近いようなので, 効果に期待が持てる.
(6) シェーグレン症候群
1)VSさんの例 (1942年生, 女性, 60kg)
疲れやすく元気が出ない状況が続いていたVSさんは, 2006年7月にT医療センタ-で診察を受けると白血球値i)とCRP値j)が高く, 同センターでは手に負えないとの判断からB医大病院を紹介された. 同年8月, ここでの診断結果がシェーグレン症候群であり, 同病院での1年近くの治療は, 唾液腺破壊を抑える「エボダック」の服用と目にヒアルロン酸ナトリウム点眼液「ヒアレイン」を使用することだった. しかし, これらの薬剤と胃腸薬投薬による症状の改善は, はかばかしいものではなかった.
2007年5月下旬に, 筆者と電話で種々話をした後に, 3g/日摂取(3分割して8時間毎に摂取)をし始めたところ, 身体の不調だったところが次々と良くなってきた. VSさんは大学医学部で公衆衛生学をしっかり勉強した人なので観察は確かであり, 改善点を要約すると次のようになる.
- ①舌の粘膜がはがれ落ち, 滑らかになった後に新たな味蕾ができた. 同時に, 唾液の分泌が良くなってきて, かさかさしていた口の中が滑らかになった. このような症状を瞑眩と感じる人もいるだろう.
- ②口角炎(口角にできる赤い糜爛(ビラン)性の炎症)が良くなった. しばらくすると完全に治り, 赤い部分も消えた.
- ③ドライアイが改善し, 硬かった目やにが柔らかくなった. 水で簡単に洗い流せるようになり, 処置が楽になった.
- ④春ウコンの摂取前は関節炎が何回か起きたが, これが全くなくなった. 指の関節がヘバーデン結節となり, 力が入らない状態であった. しかし, これが治まり指に力が入るようになってきて, CRP値も下がった.
- ⑤高血圧気味となっていた血圧が下がってきた. 最高血圧/最低血圧が, 150/95~135/85と高い値で始終変動していたが, この間に125/80前後と血圧が下がり, しかも数値が安定してきた.
- ⑥肥満気味の体重も, 60kgから56kgに減少した. シミも減少した.
- ⑦6ヶ月後の眼科検査では, 眼底検査でいつも指摘されていた動脈硬化性の注意がなくなった. 網膜静脈分岐閉塞のクラスがEからCへ改善した.
- ⑧病院での治療はなくなり, 検査を受けるだけに変わった. しかも, 1ヶ月に1回だった検査と治療が3ヶ月に1回の検査に変わった.
- ⑨以前は, コレステロール値のHDLが低位なので心配していた. 昨年は29であったが, 1年後の今年は上昇して33になり, 若干なりとも改善していた. 同時に, 血液検査が全般的に良い方向に向かい, 特に, 肝機能が良くなっていた.
これらの現象が同時並行的に起きた. ①~③はシェーグレン症候群の症状であり, 長期間の苦痛から開放された. 「シェーグレン症候群の病原体が簡単になくなったとは思えないので, しばらく春ウコンは続けた方が良いだろう. 病原体は段々と減衰していくと思うので, 病状がよくなったらいったん摂取量を減らし, 症状が悪化したら増量することも考えてよい」と伝えた. 体重減少については今回のケースまでに経験したことがなく, 身体の全般的な改善のなかで「むくみがとれた結果か」と考えてみた.
2)MCさんの例 (1939年生, 女性, 58kg)
1999年(60歳)の検診をうけたMCさんは, 血圧とコレステロールの数値が高く, それらを下げる薬剤と軽い睡眠導入剤の処方を受けはじめた. 2004年に姉と妹および義兄を次々と癌で失ったためのストレスが原因と思われるが, これらの症状が悪化するとともに軽い脳梗塞を患った. , そこで, それまでの薬より強いものが処方され, また, 5種の薬剤から7薬剤(降圧剤アムロジン錠, 血流改善剤バファリン錠, 高脂血症薬プラバスタチンNa錠, 睡眠剤レドルミン錠, 精神安定剤レーゼ錠など)に増やした.
2005年になると, 薬の副作用と加齢が原因と言われたが, ドライマウス症状が起こってシェ-グレン症候群と診断され, サリグレンカプセルの服用(1錠/回,4回/日)を始めた. また, 腰痛を抑えるためにロキソニン錠の服用(計9種類の薬剤を服用)を追加した. サリグレンカプセルの服用にもかかわらず, ドライマウス症状は徐々にひどくなっていった.
2007年4月に春ウコンの話を聞き, 直ちに「春うっちん粒」を40粒/日(10粒×4回)摂取し始めた. 検査数値の改善はすぐに見られなかったが, 夏頃から体調が少しずつ良くなってきたと感じるようになった.
2008年3月の生化学検査の結果は, すべての項目でほぼ基準値内に収まり, 担当医も「思いのほか数値がよくびっくりした. このまま続けましょう. サリグレンとロキソニンは胃腸がやられて痛みが出やすいが, あなたは胃腸が丈夫でよかった. 」と言われる程になった. MCさん自身は, もともと胃腸が弱いほうなので, 内心, 担当医の話がおかしく笑いそうになったが, 春ウコンのことは言いにくかったので黙っていた. 口角炎も改善した.
なお, 主観的には健康時に比べ最悪時から2~3割程度は唾液の分泌量が回復したと感じるが, まだサリグレンの服用を1回でも怠ると, 口の中が乾き舌にヒリヒリとした痛みを感じるようになるので, 治療の継続が必要である. また, 春ウコン摂取量を50粒/日に増やしたほうがよいだろうとの勧めを筆者Aから受けたので, 2009年10月から増量した.
3) Wさんの例(1947年生, 女性, 体重50kg, 膀胱癌(1))
1.1.2(23)と重複する.
2007年12月に春ウコンを始めると, シェーグレン症候群の軽い症状も消え, シェーグレン抗体が下がったと担当医から言われた.
以上の3件ではシェーグレン症候群についての結論は出せないが, 改善している人ばかりなので, 今後, 難病の治療法として留意すべき事項と考えた. また, シェーグレン症候群は, 唾液腺,涙腺,口角などへの感染症の合併症と見ることもできる(参照:4.3.4の2)).
(7)関節炎とへパーデン結節
(参照:上記(6)シェーグレン症候群,1.1.2(6)肺癌(4),1.1.2(12)前立腺癌(5) および 1.1.2(26)卵巣癌)
(8)帯状疱疹 (1942年生, 女性, 50kg)
TBさんは2007年10月5日左眉の上部に虫さされのような違和感を覚えたが, しばらく放置しておいた. その後, おさまる様子がないので10月13日に皮膚科で受診し, ヘルペスと診断された. バルトレックス500イ)とスレンダム軟膏ロ)を処方された.
しかし, 薬効むなしく10月19日, 左目が赤く充血し, 目やにで目がほとんど開けられない状況になり, 10月22日眼科を受診した. 眼科では, ヘルペス性角膜炎で, すでに瞳孔(いわゆる黒目)部分に達していて, 失明の恐れもあると言われ, 軟膏と点眼薬を処方された.
筆者Iの妻がTB氏に出会ったのは, 10月28日である. その時, 目は赤く炎症を起こし, 目の回りが広く赤紫色となり, 皮膚が垂れ下がる状況であった. その時, TBさんは「これでかなり良くなった」と言っていたが, 一言で言えば, ひどい状態だった. 翌日, 春ウコン1瓶を進呈し, 1日50錠(5g)ずつ服用を勧めた. その日(10月29日)から春ウコンの摂取を開始し(1日50錠), 14日で1瓶700錠を摂りきった(11月11日).
この間, 週1回の受診を続けた. 症状はどんどん改善し, 11月12日完治と診断された. 田七ハ)も同時に飲んでいて, 更にと思うものの, その後も, 春ウコンを飲み続けた(1日50錠). ひどかった顔面の傷は11月15日には残らず消えた. 以前に顔面神経痛を患い, それ以来, 顔面左側が麻痺していた. 一時は, ヘルペス感染以前より麻痺していたこの左の顔に異常を感じた. 帯状疱疹の悪化で, 顔面がゆがむ不安と垂れてしまうことを心配していたが, そのような状況に至らずに済んだ. ヘルペスが消えるとともに, その心配もなくなった.
更に, いつもうつ気味だったTBさんが1ヶ月後にはとても明るく, 元気になった. 現在は, 家族ともども摂取を続けている. 「同じ頃に帯状疱疹にかかった人が, もっと軽度に見えたにも関らず依然として苦しんでいるのを見ると, 春ウコンの効果は極めて大きい」と, TBさんは話している.
経過を追って考えてみると, 10月20日にはパラシクロビルを飲み終わったが, 22日に眼科を受診しているので, 抗ウイルスの特効薬と言われているこの薬がヘルペスに卓効を示していたかどうか疑問である. 10月28日の時点で, 目やになどの症状は改善されているので, 眼科の処方は効果があったと思われる.
その後, 11月11日までに春ウコン1日50錠を飲み続け(計1440錠), 12日に完治と診断されているので, 明らかに効果があったと考えられる. 筆者Iが会ったのは12月2日であるが, ほぼ1ヶ月間の春ウコン摂取で, 病気以前の状態と全く変わらない状況に戻っていた.
イ)グラクソスミスクライン社製の抗ウイルス薬. 主成分:バラシクロビル500mg.
1日3回, 1回2錠, 7日間を限度に服用可と言われる.
ロ)ポーラ社製の非ステロイド性の抗炎症薬. 主成分:スプロフェン.
ハ)ワクナガ製薬製
(9)花粉症
筆者Aの花粉症が春ウコン摂取後2年でほぼ消えたことを聞き, 筆者Iが, 花粉症に悩んでいた研究室の大学院生に春ウコンを勧めた. 摂取後3ヶ月, 多くの人が困っているスギ花粉の時期に, この大学院生は苦しむことなく過ごすことができた. 筆者Aは, 花粉症が消えて以後の2年ほど, 目が多少痒くなる年もあったが, 数年でこれに悩まされることはなくなった. 大学院生は, 次年度も花粉症に悩まされることなく無事に過ぎた. 以後が楽しみである.
このほか, 多くの人の花粉症が軽快している.
(10) 喘息
1) HX氏の例(66歳, 男性, 体重67kg, 1940年生)
海外赴任中の1985年頃, 重度の花粉症となったことが, HX氏が喘息になった発端と思われる. 当初は花粉の時期が終わると治まっていたが, 1989年に帰国後は花粉症に悩まされるようになり, 次第に花粉の時期以外にも痰が出るようになって喘息と診断された. ステロイド系の吸入薬を処方されて3年間続けたところ副作用と思われるムーンフェイスとなり, 身体がつるようになったので服用を中止した. 喘息の症状がひどい時には横になることもできず, ソファーに寄りかかって寝るような状況だった. それ以後, 各国の赴任先で同様の薬が処方され, その都度, 同様の副作用で服用中断を繰返してきた. 一時, 知人に勧められて香港の漢方薬を2年間試したが, 全く効果がなかった. かなり多くの治療を受け, 良いと言われれば鍼灸までやった. 最近では強いステロイド治療(吸入薬フルタイド・セレベントとシングレラ錠)に入っていた.
2007年の11月5日に春ウコン摂取を始めた(60錠/日, 3分割). 始めて10日目までは改善の兆しが見え, 「それまでは喉の奥がいつも詰まっているような感じがしていた. それを出そうとしてもなかなか出なかったのが, 痰も少し出やすくなり楽になった」と実感できて, 期待が持てた. この段階で, 強いステロイド治療は一切止めたが, 症状に変化は出なかった.
しかし, 12月に入って少し悪くなり翌年1月になると一段と悪くなってきた. ピークフロー値k)が200~300程度まで落ち, 速歩をするとゼイゼイ言うようになり, 痰の量も多くなったうえにいくら出しても喉の奥に引っかかっているような状況が続いた.
症状が改善しないので, 1月11日から摂取の仕方を[20錠/回×3回/日」から, 量は減るが均して摂取する方法「10錠/回×5回/日]へと変更した. 総合ビタミン剤も2錠/日を摂り始めた. この時, ピークフロー値は350に達せず速歩で息苦しい状態が続いた. 4日後, 400に回復し症状が軽快に向かった.
2月4日から摂取量を15錠/回×5回/日に増量した. また, ビタミン剤を2錠/回×2回/日とした. 2月21日にはピークフロー値が470~500となり, 過去最高値となった. 痰は出るがかなり減少し, 喉に何かが引っかかっているような感じはなくなった. ほぼ正常値の550が見えてきた.
例年ならマスクによる完全予防をしてもひどい状態にとなる3月に入りピークフロー値は450~480である. 2008年はスギ花粉などが大量に飛散し, 花粉症で苦しむ人が多い年であったが, HX氏の花粉症は明らかに軽快している.
しかし, その後, 予想していたようには改善していない. 心配になると使用するステロイド治療薬の影響が大きいとも考えられる. 長期間にわたって糖尿病薬やインスリンを摂り続けた人は, 新陳代謝の遅い細胞がなかなか回復しない (参照:4.2.4). これと同様に, 長年ステロイドを摂り続けた人の細胞も似たような傾向にあり, [新陳代謝が速い細胞部分だけはすぐ回復するが, 遅い細胞部分は代謝が終わるまで徐々に回復していく]と考えられそうである. この新陳代謝による細胞入れ替わりを待つ間, [ステロイドを使わずにどのようにしのぐか]という大きな課題があるだろう.
2) NS氏の例 (1950年生, 女性, 体重50kg)
1975年の第一子出産3ヶ月前よりNS氏の咳が出始めた. 当初は風邪に罹ったと思っていたが, 妊娠中だったためほとんど薬は飲まずに過ごした. 咳が止まらず, 出産1ヶ月ほど前から薬を飲み始めたが効果なく, 咳で肋骨を骨折するほどのひどさとなった. そして, 出産後は, 喘息特有の[ヒューヒューゼイゼイ]となる呼吸が始まったので, 病院で処方された喘息薬やステロイド系の吸入薬を開始した. 4回/日までと制限されているステロイド吸入薬を, 大変な苦しさのなかで, 日に10回も吸入することもあった.
また, 減感作療法を2年ほど受けて, 少し楽になったと感じた時期もあったが, 第二子, 第三子と出産のたびに, 妊娠すると喘息が悪化した. 喘息の調子が良いと思い, 子供の幼稚園の運動会で走ったこともあったが, それがきっかけとなって喘息がぶり返すこともあった. このような繰り返しのなかで, 10年間くらい, 喘息に悩まされた.
そのような時に, アメリカ転勤の話があり, 自信もなかったので, 症状が悪化するようだったら帰国するつもりで1985年に渡米した. ところが, 症状は次第によくなり, 喘息だったことを忘れるくらいとなり, 4年半の米国滞在中は快適に過ごした.
1989年に帰国後は特に喘息と思われるようなことはなかったが, 2009年7月に, 風邪のような症状から, 少し喘息のように感じた. たいした症状ではなかったので, 市販の漢方薬を1週間ほど飲んだ. その後の数ヶ月は無事に過ごしたが, 11月に入ると咳が多くなった. 就寝して横になると, 咳き込むことが多くなり苦しかったので, 座った形で寄りかかるようにして寝ていた.
このとき, 友人経由で筆者Aの話が伝わった. 半信半疑であったが, 「自分の身体を使って効果を確認したい」と思ったNS氏は, 気管支拡張剤を使わずに11月末から春ウコンを摂り始めた. 体重に合わせ, 5g/日(錠剤50錠/日を7分割)を摂取した. 1ヶ月経過したところ, ほとんど咳き込むこともなくなり症状はかなり改善した. しかし, 2ヶ月が経過した2010年2月に入り症状は軽快したものの, まだ, 気管支が狭くなるような感覚が残っている. この状況を他の疾患(癌や糖尿病など)と比較して考えてみると, 症状が治まるまでに3~4ヶ月は必要なので, 摂取を継続して様子を見ることにした.
春ウコンの効果がHX氏とNS氏で異なるのは, 残存するステロイドの影響なのだろう. 喘息の改善の可否は, 肝臓などでの解毒機能次第と考えている. 外部から入った非自己(異物)蛋白質の分解機能が阻害されているので, アレルギー反応(蛋白質凝集反応)が起こるのだろう. 発作に卓効を示すステロイドは, 免疫力低下と臓器損傷の両面で, 回復の阻害要因となる可能性が大きい.
ステロイドを摂取しない期間が長くなったNS氏は, 肝臓などの臓器細胞が新陳代謝で入れ替わり, ステロイドなどの阻害要因が消えていたので早く効果が現れたのだろう. また, 2009年の発作で, 気管支拡張剤を使用しなかったことも, 肝臓損傷に有利に働き, その結果, 春ウコンの効果が順調に出てきたと考えられる. また, 在米中は, 日本での免疫力低下要因がなくなり, 免疫的には良い状態だったので, 喘息がおさまったと考えられる(参照:4.3.3の4)).
(11) 緑内障とドライアイ
1)女性 (1971年生, 開始2007年9月, 体重50kg)
2004年から春ウコンを摂り始めたが, 朝晩, 不規則に約30錠/日を摂っていた. 緑内症の進行は遅くなっていたが, 2007年9月に50錠/日(5g/日, 5分割, 等間隔)を摂取し始めたところ, 眼圧が大きく下がり始めた. その後6ヶ月間の眼圧検査では低い値が続き, 緑内障の進行はとまった.
2)男性(1937年生, 69歳, 体重80kg)
夫人の糖尿病が春ウコンの摂取によって, 良くなったのを見て, 春ウコン摂取(3回に分けて5g/日)を始めたところ, 緑内障の眼圧が4ヶ月後には32から16へ下がり, 進行が止まり, 同時に, 長年のドライアイの苦痛から開放された.
3)男性(1954年生, 49歳, 体重70kg)→(参照:1.3(5))
(12)水虫とヒョウ疽
水虫やヒョウ疽も春ウコンを摂取していると治りが早い. しかし, 共に体液の届き難い所にはびこるので, 体液と触れ合うようにブラッシングや圧迫をするような努力が必要となる.
(13)アレルギー性発疹 (1966年生, 42歳, 男性, 62kg)
赤い斑点状の発疹(数個/㎠)が腕,身体,足先まで全身にでき, 痒みも出ていたので, 2007年11月に医者に行った. 検査結果からアレルギー症状が出ており,肝機能も多少落ちていると診断され, ベトネベートNクリームイ)を処方され, 痒み止めにレスタミン軟膏を貰った. 2ヶ月間投薬を続けたが症状の改善は見られなかった. また, 40歳過ぎた頃から, 負荷をかけた運動をすると喘息症状が出ていた.
花粉症や喘息のようなアレルギー症状に, 春ウコンの効果を確認し始めていたことと, 体調の全般的な改善度が良いので春ウコンを勧め, 2008年1月30日から摂取を開始(30錠/日, 3分割)した. 2週間すると発疹は小さくなり, 数も少なくなった. 1ヵ月すると発疹は形跡を僅かに残すだけの状況になり, 2ヶ月すると, 過労の時に多少発疹が出てくる程度となり, 普段は発疹が全くなく, 痒みも殆どなくなるまでに回復した.
イ)スミスクライン社製の外用副腎皮質ホルモン剤
(14)アトピー性皮膚炎 (1973年生, 男性, 体重70kg)
小学生時代に小児喘息とアトピー性皮膚炎と診断されて, ハウスダストや花粉などが原因と診断された. 抗アレルギー薬・気管支拡張薬が処方され, これを常用していた. しかし, 大した効果もなく苦労が続いていた. 10歳のころ, 漢方薬を処方してもらい, 発作が軽快したことを喜んだ.
高校生になると喘息発作は少なくなった. 理由は体力がついてきたためと言われたが, アトピー性皮膚炎は残った. 20歳台後半になると, 過労に比例したようにアトピー性皮膚炎は悪化した. 2007年(34歳の時)に, 風邪をひきやすかったので, 春ウコン (50錠/日(5g/日)を3分割して摂取)を勧められて摂り始めて3週間すると, アトピー性皮膚炎の症状が急速に改善し痒さも減少した. 3ヶ月で軽快した.
(15)骨粗鬆症(うつ症状,子宮筋腫) (1950年生, 女性, 45kg, 160cm)
「うつ症状が出て困った」と言っているFMさんに, 春ウコンを3ヶ月間しっかり摂取するように2008年9月に勧めた(45錠/日(4.5g/日)を3~5分割して摂取). 摂取し始めたところ, 2ヶ月を過ぎるとうつ症状が治まったので, 春ウコンの摂取はやや雑になった. 2009年7月末に人間ドック検査を受けた. 骨粗鬆症の検査項目で3年前(55歳)から毎年続いていた骨密度への指摘がなくなったが,骨密度改善に気づかなかった.骨密度が増加して, 検査を始めて以後の過去最高値となっていたのに気がついたのは2010年2月になってからだった.
表21 春ウコン摂取と骨密度の変化
イ)同年齢の平均骨密度との比較 ロ)骨密度最大年齢の骨密度との比較
骨密度は2008年で減少が止まり, 2009年に増加している. 病院で指摘を受けても, 骨密度を上げる特別なことはしていなかったので, 春ウコン摂取以外に思い当たる要因はなかった.
この現象を, [加齢と共に減少が進むといわれている骨密度が, 自然に増加することは有り得ない. よって, 春ウコン摂取による免疫賦活で卵巣の機能が回復し, 女性ホルモン(エストロゲン)分泌が正常化して骨形成が骨破壊を上回ったことになる. 摂取期間が約(2+α)ヶ月間なので, 骨密度増加はさらに期待できる. 骨組織の新陳代謝が終了するまで春ウコン摂取を継続すると, FMさん固有の骨密度に近づく]と考えたのでFMさんに伝えると, 春ウコン摂取で体調は良く, 身体に異変は全くないので, 2010年2月から正確な春ウコン摂取を再開して, 4ヶ月後の人間ドックで確認することにした.
FMさんは4年前に春ウコンのことを知ったが, たいして期待もしなかったので, 熱心に摂取したとはいえなかった. 筆者Aから[春ウコンは体調が良くなる]という勧めで, 2008年頃から摂取量に少し気をつけ始めた. しっかり摂取した2008年9月以後, うつ症状の改善に加え, 心配していた骨粗鬆症の改善は期待もしていなかったことなので, FM氏は大変喜んだ. そのうえに, 親指の頭ほどの大きさになって気にかかっていた子宮筋腫が, 時期は確定できないが, この2年の間に消えていたことも驚きだった.
これらの改善が春ウコンの効果だったことを, 人間ドックのデータと摂取時期の関係を解析して初めて確認することができた.
この一例で, [骨粗鬆症が抑えられる]と明言はできないが, 期待が持てるデータである. リスクが少ないので, 症例を重ねることかと思う. 癌は各臓器, 糖尿病は膵臓が重要であるのと比較して, 骨粗鬆症は[卵巣,骨髄]が重要臓器と予測している.
(16)全般的な改善 (1975年生, 女性, 71kg→62kg, 身長156cm)
KXさんは, 自分の家系は短命の家系と言う. 父親は肝臓癌(48歳), 叔母は乳癌(61歳), 母方の祖母は膵臓癌(62歳), 同祖父は肺癌(69歳), でそれぞれ逝去し, 長命の縁者はいない. 母だけが70歳を過ぎて健在であるが, 若い時からの糖尿病などに加えてアルツハイマー, 子宮筋腫などを患っている.
幼少の頃のKXさんは始終扁桃腺炎を患い, 家で勉強するように言われ, 外に出なかったと言う. 3年前に叔母を癌で亡くし, ドイツ留学と時期が重なった時に, 頭髪の一部に白髪が出たという.
ドイツと日本を往復している生活で, 健康診断を受けることもないので, 今までの検査結果もなかったが, 健康のためにと言って, 2008年2月18日より春ウコン70錠/日(7g/日を6分割して摂取)を摂り始めたところ, 6ヶ月の間に以下の変化が現れたと, 報告してくれた.
表7 春ウコン摂取後のKX氏の体重と排尿回数の経過(2007年)
- イ) 体重:春ウコンを摂取するまでは, 排尿が一日に1~2回と極端に少なかった. 2月18日に春ウコンの摂取を始めると, 排尿回数が急に増加して体重が減少し始めた. 本人は機能低下していた腎臓が働き始め, 浮腫みが取れていくと感じたと言う.
経過は上記のようにほぼ3ヶ月で一定値となり, 数ヶ月間この状況を保っている. その間, 以下のように体調は大幅に改善した.
- ロ)便秘が治った. 3~4日に1回だった便通がほぼ毎日となった.
- ハ)血圧が145/95から120/65と, 大きく変化した.
- ニ)発汗をするようになった. 幼少の頃から汗をかいた経験がなかったが, 今夏になって初めて発汗を体験した.
- ホ)平熱が35.8℃から36.5℃に上がった. また, 病気の前に熱が出るようになった.
- ヘ)乾燥肌ではなくなり, 常用していたクリームが不要になった. また, 吹き出物も なくなった.
- ト)肝臓が深酒にも耐えられるようになった.
- チ)慢性的な疲労感がなくなった.
- リ)甘いケーキを食べて立眩みのように意識がなくなったことが何回かあったが, こ の数ヶ月間はこれがなくなった.
以上の話を聞くと, 腎臓,肝臓,腸,膵臓を始めとして体全体に多くの疾患を抱えていたようである. 体重が3ヶ月で一定値になったのは, 多くの疾患がここで治まっている可能性がある. 末期癌と糖尿病が100日で治まるのと符合していて興味深いことである.
KXさんは半年振りで会った友人から, 「メタボ一直線だったのに, どうしたの」と言われるほど健康そうになった. 春ウコンで免疫力が上がり, 多くの疾患が治まると同時に平熱を始めとする身体の基本的な機能が回復していったようである. 若くても免疫が低いことがあるようだ. 女性の厄年が33歳であり, 男性の45歳より低いのも, 統計的に何らかの意味があるのかも知れない.
1.6 春ウコンの有効例のまとめ
- ①春ウコンが卓効を示した疾患は, 下記の表8のようにウイルス性疾患, 細菌性疾患, 癌を始めとする成人病, 老化現象など, 広範囲にわたっている.
- ②広範囲の疾患を併発していても, 同時並行的に抑える. 多くの人に一様に効果が見られ, 効き方の個体差が極めて小さい.
- ③疾患が異なっていても, 治まっていく経過は類似している.
- ④広範囲の疾患の間に関連性があるようには見えないので, 春ウコンは生体防御機構の基本的なところに効いているようである. 特に, 免疫賦活に関連していることが, 容易に推測できる.
- ⑤病原のはっきりしない疾患と分かっている疾患を含めて余りにも広範囲な疾患に有効性なので, 他にも種々の疾患や病態での有効性に期待が持てる (参照:「終わりに」の『適応症の拡大と限界』) .
表8 春ウコンが抑えた疾患名とその病原体
1.7 春ウコンの有効例拡大中に考えたこと
(1)どの癌も原因は同じ?
肝臓癌, 肺癌, 直腸癌など, 色々な癌に春ウコンは効果があることが分かってきた. しかも, 難しいと言われている肝臓癌, 肺癌のような癌が再現性よく治まった. しかし, 様々な種類の癌に春ウコンが同じように効くことについて, どのように考えたら良いのか判断がつかなかった. そこで, 最初, 次のようなことを考えてみた.
- ①春ウコンが色々な種類の癌に多面的な制癌効果を持っている. 春ウコンは優れた制癌剤である.
- ②carcinoma(癌)だけでなくsarcoma(悪性肉腫)にも効いたが, melanoma(黒色腫)にも効いたようだ. myeloma(骨髄腫)にも効きそうだ. ○○○癌,△△△癌という異なる癌があるのではなく, 発生する組織や器官によって形態学的に異なった癌に見えるが, 病原は同じか殆ど同じものである.
- ③[癌=ウイルス説]とすると, 原因は同じウイルスに行き着くか, あるいは, 何種類かのウイルスに行き着く. そのウイルスに春ウコンが卓効を示す. 春ウコンは優れた抗ウイルス薬である. しかし, ウイルスは見つかっていない.
- ④春ウコンが免疫系を賦活して, 色々な種類の癌を抑える. 春ウコンが免疫系の何処に作用しているかを推測できないが, 免疫系に多様性があり, 様々な癌を抑えることができる.
治らないと思っていた癌を抑えることができるようになり, 制癌効果だけでなく, 様々な生理活性があるらしいとわかってきた. どうやら④と②らしいと思いながらも, 結論めいたことを言うことができなかった. しかし, 2006年7月に春ウコンの摂取量と効果の間に最適値(オプティマム)があることが糖尿病でわかり, 過去の経験と考え合わせ, 免疫を上げるメカニズムを推測してみた. 膨大な数の人たちが世界中で癌研究に英知を集めても, なお, 癌の病原を極めることができていない現実を考え, 「春ウコンは, 一体, 何物なのか」と訳がわからなくなりながら, 一つ一つの事実について整理しながら考えてみた.
(2)春ウコンの活性は何か? 春ウコンは成人病にも自己免疫疾患にも有効?
春ウコンで良くなった症例を眺めてみると, 医家向け医薬品で効果が出にくいような疾患にも有効な例が数多くあるように感じた. これらのいくつかの活性について, 独善的な解釈であることは承知のうえで, 今までの経験を関連付けながら考えたことを, 以下にとりあえずメモしてみた.
1) 制癌活性はどこからくるのか?
春ウコンの代表的な成分はクルクミンと精油といわれている. 制癌活性に, クルクミンは必須の働きをしていると予想されているが, かなり注目されているにもかかわらずクルクミンに強い制癌効果が出たという報告はない. 米国のNIHでの[クルクミンと秋ウコンのプロジェクト研究]でも, 制癌効果は出なかったようである. また, クルクミン含量が多い秋ウコンより, この含量が1/10程度の春ウコンの方が癌,糖尿病には卓効を示した.
これと同様に, きのこ類の抗腫瘍効果については, β-D-グルカンのような多糖類が免疫療法剤の抗腫瘍活性成分と言われている. しかし, この多糖類が強い抗腫瘍活性を示し, 各種の癌を抑えていれば癌患者は安心していられるが, 現実は, 末期癌の患者に残された希望は少なく, β-D-グルカンが制癌剤として卓効があるようには見えない.
β-D-グルカンが免疫系マクロファージのリセプター(サイト, 受容体)に作用するという輝かしい研究成果があるが, 制癌という視点では, リセプターをβ-D-グルカンが抑えただけでは十分に免疫活性が上がらないようである. 一方, 春ウコンには多種類の癌に対して強い制癌活性がある. [春ウコンの多面的活性は免疫系を賦活しているからと考えることができるか], とも考えてみた. キーコンポーネントを取り出して制癌活性を測っても大した活性が出ないのだろう. [ある受容体に親和性を持つ特殊な多糖類やテルペン類, クルクミン類があるサイトを抑え, 他の活性化物質が別のあるサイトに効率よく働いた時に強い免疫活性が出るという可能性は考えられないだろうか], とも考えた.
2)ウイルスの特効薬になるのか?
春ウコンを摂り始めてから, 風邪を引く回数が大幅に減った. 周りの人が引いても自分だけ風邪に罹らない, ということも多くなった. インフルエンザをはじめとして他人からうつる風邪は存外少なく, 多くの風邪はもともと体内に潜伏している風邪のウイルスが, 気温低下などの原因で免疫力が下がると同時に, 活動を活発化させて病気を引き起こすようだ. 口唇に潜伏しているヘルペスウイルスなども一緒に活動し始めるのだろう.
各自は固有の風邪を所有していて, [鼻かぜの人はいつも鼻かぜ, のど風邪の人はいつものど風邪]になるようだ. 筆者自身の固有風邪とヘルペスが, 春ウコン摂取と共に減少した. かつては, 風邪をひくと身体を温めて寝ているのが最善策と考えていたが, 春ウコンの効果がわかった後は, 「風邪気味なので, 寝る前に春ウコンを少し余計に摂って」と考え方が少し変わった.
C型肝炎や帯状疱疹にも春ウコンは効いた. インフルエンザウイルス, 単純帯状疱疹を起こすヘルペスウイルスなど一部のウイルス向け外用薬を除いて, 抗ウイルス剤が卓効を発揮する医薬品例はあまりない. これはヒトの生命現象そのものとウイルスの活動とを区別することが, 単純な薬剤ではむずかしいことからきているのではないかと考えていた. 逆に言えば, 切れ味の鋭い抗ウイルス剤, 制癌剤は生命現象のDNAの反応領域にも近づく. よって, 制癌剤の一部に奇形児の原因になるような物質が含まれるのはそのためではないか, などと早合点してみたりしていた. ともかく, 高齢の人, 体力を使い果たした人に対しては, これらの薬剤は凶器となりそうだ.
正常細胞の活動を抑制せずにウイルスの活動のみを特異的に抑える薬剤を開発することは, 容易なことではなさそうである. 美味い米とまずい米を混ぜておいて選別するようなむずかしさがあるように思う. 確かな眼力, 確かな記憶力がない限り分別不可能であるが, この能力を持っているものが免疫細胞であり, 抗体(免疫グロブリン)などの免疫系なのだろう. この微妙な差を区別できる免疫力に頼る方法がウイルス対策, 癌対策には最適な手段となるはずである. したがって, 自己の免疫力を上げ, これらを防ぐことが抗ウイルス対策, 抗癌対策の最良の方法となるだろう.
3)自己免疫疾患にも効くのか?
自己免疫疾患は大変難しい病気と考えていた. [花粉症が消える人が出てきた][シェーグレン症候群が治まった][関節炎が消えた], となると, 1.1.2(3)の時に書いた[老化~免疫~遺伝子~ウイルスと健康]の図は間違いとなる.
自己免疫疾患について, (6)シェーグレン症候群3例, (7)関節炎, (9)花粉症, (13)アレルギー性発疹, (14)アトピー性皮膚炎だけで全てを論ずることはできないと思うが, 春ウコンによって, [細胞性免疫Th-1優位でよくなり, 液性免疫Th-2優位で悪くなる疾患]が共に良くなるとすると, 自己免疫疾患の原因は癌や糖尿病などと似たような病根と推測できそうである.
一方, 慢性疾患として長期間投薬を続けている(10)喘息の1)のように, 春ウコンの効果が短期間で出にくい例が出てきたので, 理由を考えた. それは, 投薬によって特定な臓器が損傷を受けるので, 新陳代謝によってその損傷細胞が入れ替わらない限り, (10)喘息の2)の例のように簡単に完治に至らないようであると思えた(参照:4.2.4の3)). 同様に, 短期間に疾患が治まる場合と投薬のために簡単に治まらない場合が, 糖尿病や癌でも起こった(参照:1.2(1), (5)および1.1.2(28)).
4)細菌感染, 真菌にも効果がある?
健康のために春ウコンを摂り始めた人の中に, 歯槽膿漏, 蓄膿症, 慢性的咳痰症などの細菌感染・膿症が原因と考えられる積年の疾患の改善が見られたことは, 思いがけない発見であった. 永年苦しんでいるいわゆるCOPD(肺気腫, 慢性気管支炎)のような疾患に, 一度は試してみても良い方法のように思う.
(3)春ウコンはオールマイティ?
春ウコンが癌に効き, 次に「風邪やヘルペスによく効く」ことがわかり, 価値が大きいと感じた. このことで, 春ウコンは少なくとも一部のウイルスには有効だと言えた. 最近の「タミフル騒動」に見られるようにウイルスに対する特効薬は, 内服薬では殆ど無いと言われている. ウイルスに効くというだけでも, 春ウコンはとても興味深いものだと思った.
ところが, 風邪をひきやすい人に春ウコンを勧めたところ, 風邪だけでなく, 糖尿病, 高血圧などもよくなったという結果を知らせてくれたことは, 前述の通りである. 知人や縁者に次々と起きる不思議なことは, [治すことが難しいと言われている疾患が治まった]という話ばかりであった. 多くの生活習慣病に春ウコンが効きそうに見えたので, 多くの生活習慣病もウイルスが原因ではないかと想定してみた.
生活習慣病は, 生活習慣によって悪化してくる疾患と言われている. 以前には成人病と呼ばれていたように, 「成人になって免疫が下がることによってウイルスが活発化して発病する病気」と見た方が理に適っていると, その時点では考えた. これら全疾患の原因がウイルスとすると, やはり, 「癌ウイルス説は正しいのか?」とも思い始めた.
しかし, 癌の発生には, 遺伝子の突然変異説, mRNAの読み違い説, 欠陥遺伝子説, ウイルス説などを含めて色々な説がある. どの説も「癌を治すことはむずかしい」と言っているようであり, また, 殆どの癌でウイルスは見つかっていないことも確かなことのようだった. しかし, 疾患は治まるので, 何が起こっているのかを良く考えてみる価値があると思った.
春ウコンについて, 治癒がむずかしいと言われる癌,成人病が治まるという情報全体を眺めてみると, 成人病と言われるこれら多くの疾患は, 概ね中高年になってから出てくる疾病である. しかも, 疾患の病原体が一様にわかっていない. しかし, 発病のメカニズムは基本的なところで繋がっており, 成人病を包含する病原体の概念があるのかも知れないとも考えた. それにしても, 今までの医薬品では根本的に良くなることがなく, 原因の解っていない疾病が, 未解決のままでこのようにたくさん残っていることに, 改めて驚かされた.
春ウコンはオールマイティに近く治癒効果があるが, すべての病気に薬効があるはずはないことは確かなことである. しかし, 糖尿病, 高血圧, 各種末期癌などの治癒はむずかしいと言われる多くの成人病に, 春ウコンが効果を上げていることも確かなことである. この事実を掘り下げて考えてみる価値があると思っていたが, 忙しさに紛れて手付かずであった.
ところが, 前述1.1.2(8)のケースが起きて, 筆者Iから「今まで起こっていたことを一緒に整理したり考えたりして本にまとめれば世の中の役に立つ」と言われ, 全体構成を提示されて初めて筆者Aも腰を上げる気になった.
整理をし始めていた時にオプティマムを示唆する例が出てきた(参照:1.3(1), 4.1.3の2)). 概念をまとめる上での有力な要素が加わり, 30年以上前に制癌剤開発で経験してきた多くの事項と春ウコンに関するこれらの情報がつながってきた. また, オプティマム現象は, 用法用量を決める上でも重要であった.
そこで, これらの事実や情報から考えた概念やメカニズムを多面的にまとめたところ, 第4章となった. 癌などが抑えることのできる疾患となると, 考える巾が大きく拡がった. これらの事実を基に, 今後, 詳細に真理が解明されていくと, 第4章は的外れな結論ということに, あるいはなるかも知れない. しかし, この試論が, 癌, 成人病を解明するきっかけとなればとの思いから, 専門外からではあるが, 極力, 帰納法により考え方をまとめた.